第25回 トーマス・マン「道化者」
普段は、インスタのみで投稿していますが、初めてnoteにも載せてみます。
第25回目の読書会は、トーマス・マンの「道化者」でした。
トーマス・マンの自伝的小説。
裕福で徳望のある紳商の四代続く上流階級の家に生まれた主人公。
家柄が良いことと、好きなことの芝居の演出、ピアノなど何でも器用にやってしまうことで人気者であり、仲間から尊敬と人望を得ることを心得ていた。
そんなことで父親から道化役者の才があると評されていた。
親の亡き後、多大な遺産を手にして悠々自適の生活を送る。
自分自身の行動を誰からも束縛されることなく、自由気ままにやりたいように過ごすことが、幸福であるとの信念で。
理想の人生を送っているとの自覚があるのだが…
不安がよぎる。
「心の中に満足と信頼以外の何者かがほのかに動いていた。」
「外に迫ってくる夕闇か、またはものうい雨脚にでも見入りながら、厭世的な発作のいけにえになるような、そういう黄昏時が、そもそも避けられるものであろうか」
「何不自由のない生活の中に、世間いっさいと自分自身に対する嫌悪感が抵は抗しがたく、心に忍び寄って来る」
自分は幸福であると確信を持っていても交友関係の欠乏、上流の連中との交渉の欠如を自覚。
「社会」に奉仕することなく、己自身の道を行くことにした時、無論「社会」と絶縁し「社会」をあきらめてしまったではないか…中略
自身の揺らぐなかでも自分が幸福であることを揺るぎなく肯定している。
そんなある日、若い婦人に恋をした。
この恋が失恋に終わり、かつてない情けない不快な不幸を味わう。
シナリオを頭に入れて臨んだのに、彼女に一言も言葉をかけられない。
焦燥感と惨めさ。
「おそらくおれは、この先、まだ生きて、ー食って眠って、なにか少し仕事をし続けて、やがて次第に、ぼんやりと不幸な笑うべき人物であることに馴れてゆくようなことになるかもしれない」
この本を読み終えて、幸福とは?を改めて考えることができたし、これから先の人生を送るにあたっての生きるヒントをたくさん教えてもらったような気持ちになった。