真夜中に書く映画の感想
ミッドナイトスワンという映画を観た。
前から話題だったらしいが、今日というか昨日インスタを見ていたら、憧れの舞踊家がこの映画にコメントを寄せていて目についた。
今日というか昨日、だいたい休日はだらだら過ごしている。
あれをやらねばこれをやらねばと思っても、やりたくなくてウェブ漫画やインスタをひたすら見ている。
この映画の投稿を発見してからは行動が早かった。
映画館を調べ、福利厚生で安くならないかと調べ、近くの映画館で若干安くなった額でチケットを購入。
1番遅い時間で、20:50からにしてみた。18時ごろからのでも観られたけど、ちょっとやることやって、映画館近くのスペイン料理屋で軽く飲んで食べようという気になった。
1人でバーには行ったことはなく、1人で飲んで食べるというのはカフェや牛丼屋とか以外ではあまりなかった。けど、そういう気分になった。
20時くらいに駅に着けばいいやと思ったら、おみせにはいったところ20:20で、意外と時間がなかった。けど、お店の方は優しい笑顔で、売り切れてるメニューがチラホラあって食べられないのもあったけど、そんなに人気なメニューなんだなって、今度食べたいなって思いながら、スパークリングを飲んで、鳥もも肉とアンチョビキャベツを食べて、映画館に向かった。
コーヒーを買いたかったけど、開演5分前だったし、トイレ行きたくなりそうだし、開演中に席にガタガタ入ってくのも悪いかななど思って、開演前には席についた。
絶対1人じゃ食べきれないし、一口ぐらいで飽きるとわかってるけど、後ろから、斜め前から、人が食べてるのを聞いてるとなんでか食べたくなる。でもお腹はいっぱいだったのでポップコーンは買わなくてよかったと思うことにする。
予告もちゃんと観て、映画を月に1、2回は観るのもいいなあなんて思うくらい、やはり映画館で、大画面で、映画館の音量で、雰囲気で観るのはいいものだと思った。
肝心の映画の感想は、すごくよかったと、1年ぶりにインスタに載っけるほど、今noteを書くほど、色々と感じた。
“どうしてわたしだけ”
というようなセリフがあった。どうしてわたしだけなのとかそういう語尾だったかもしれない。
普通に聞くと、自分だけこんなにつらいんだと思うなよって言いたくなる感じの言い回しだけど、見ててぐっと歯を食いしばる感じになった。
似たようなセリフがその後も出てきたけど、そこも見ててぐっとなった。
持ってない人が、それを持ちたいと思って、努力したり、誠実に生きてたり、そうやっても降りかかってくるのは期待とは全然違うものだった。
何回裏切られる気持ちになるんだろう、どうやったら穏やかに過ごしてくれるんだろうと思って観いた。
どうしてわたしだけって思いながら、死にたくなっても泣いて自分で自分を落ち着かせて、道を踏み外さないで、生きている。
それなのに、持てたものというか自分の中に生まれた感情を大事にして、自己犠牲と献身と正義をもって行動するのに、そこをひょいっと飛び越えていかれることが多いと思った。いいところは全部持ってかれるというか。飛び越えられる人は、持ちたくても持てないものを、すでに持ってる。飛び越えたという気持ちもないと思う。
その度に、自分はどんなに努力しても持ってないんだとイヤでも思い知らされる。打ちのめされる。と思う。
この映画の中で、自分が欲しいと思うものを持ってない人は、どこまでも持つことができなかったと私は感じた。
そんな中で、一果はバレエをやりたいと思っていて、そのやりたいと思ったものに対して、努力したら上手くなるものを持っていた。過剰に卑下することも、上から目線になることも無く、持ってない人に対して同情もあまりしてないと思う。
持ってるもの、自分がやりたいこと、それを通して、多分それが通ってるから、そこがいいなと思った。
私は欲しいと思うものとすでに持ってるものが、絶望的に乖離してはいないと思う。映画の中の欲しくても持てない人の気持ちは想像するだけだ。
自分より持ってると感じる人に出会ったら、持ってないと感じる人に出会ったら、私はどう接するんだろう。どういう態度になるんだろう。そんなことを考えた。
結構色々感じたのは久しぶりだった。行動を起こして刺激を得るのはいいなと思いつつ、疲れとの天秤にかけてしまうので映画鑑賞とか中々継続しなさそう。
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