大切にしたい日に限って、子が発熱する

スティックのりにボールペンを垂直に刺し、離し、また刺し、離し、と、文房具を壊す三女。これも発達の一つなので、マタ文房具ガーーーと目くじらを立てたくない。というのは表面的な心持ちで、内心は無である。次女はお絵かきをしながら夕食を食べている。食育で心配されるコショクのうち、固食、個食状態である。それを避けて大家族皆で食を囲みましょう、、、という心持ちにはならない。

三女は熱で倒れて食欲不振なので、文房具を壊していても回復しているなら良いとする。次女は小学生ながら中間管理職のように、年の離れたシニアな長女と、人間歴が新卒すぎる三女に挟まれて、上からも下からも意見されつづけ、息苦しい日々を送っているようなので、食事のスタイルまで、私はマイクロマネジメントしたくない。

前置きが長くなった。これが私の日常である。有休休暇を、自分のために取得した矢先に、三女が感染症で倒れた。オワタ/(^o^)\。会社員が、ケアラーに変わっただけた。これは私のための休みだったのに、、、ストレス発散のための休みが、子の看護のための休みへと、目的が変わってしまった。

この感染が、コロナかどうかは知らない。今では、コロナ検査は、パンドラの箱のようになってしまって、検査可能だが、不顕性養成や擬陽性でも、陽性がでると登校停止になる、という、親にとっては罰ゲームのような検査になった。なお、子どもは比較的コロナに罹患しても、基礎疾患がなければ軽症あるいは不顕性であることが多く、投薬の対象になることも少ない。むしろ、私も含め、大人のほうが重症化する確率が上がる。私はコロナにかかったとき、一週間動けなかった。両肺とも肺炎になって、今も胸部X線を受けると、コロナとの戦いの痕が残る。

今回、子は他の感染症の可能性もなくもないが、医師から診断はおりていないし、特効薬がない病気なら診断を求めても、療養という次のアクションは変わらない。登校停止にさせられるのは、働く保護者にとって罰のように感じる。本人が回復しても、登校停止期間があるため、在宅ケアが必要になってくる。学校保健法に定める登校停止となる感染症なら、回復したから児童館いってくる、図書館で読書を満喫する、など公共施設は使えない。

うちの三姉妹は、数々の感染症にかかってきたわけだが、私は、三姉妹に、定期接種の各種ワクチンをタイムリーに受けさせながら、なんとか自力で各種ウイルスに戦ってくれと祈るばかりである。子どもが倒れた時の親の負荷は大きい。乳幼児であればなおさらであり、ケアをしているうちに自分も罹患するという、バイオハザード的な戦いのゲームから逃れたい。




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