不運だったことが幸運かもしれない
人生はわからない。この一言に尽きる。
たとえば、私は国費留学生にならなければ、アメリカから日本に戻って来なかったので、日本で就学や就職をすることにならなかっただろう。国費ゆえ、ビザの制限があったから、私は学位取得と共に帰国するルートしかなかった。当時、アメリカで博士課程に進みたかった自分にとって、それは絶望だった。現地の弁護士にも相談したが、帰国しか道がなかった。
その結果、日本に戻って早々に結婚した。
日本で博士課程に在籍したが、その先の展望が見えず、大変悩んだ。そのため、博士課程に在籍しつつ、企業で就職活動を始めた。私が就職活動の履歴書をPCルーム(情報基盤センターとか、本当はもっと高尚な名前の部屋)で書いていたら、同級生男子が何度もアピールしてきた。付き合いだして、すぐに婚約。デキ婚ではなく、単なるスピード婚。低所得の同級生男子が、なぜ研究一途の低所得のガリ勉女子を好きになったのかは不明だが、私も、アメリカでドクターに進む道が一旦閉ざされたことで、なんかもういいや、と吹っ切れていたんだろう。アカデミアをやめて、民間に行こう、とか。勉強やめて、恋愛しよう、とか。恋愛するなら結婚しようとか。
アメリカで博士号を取得する、という夢の進路が、国費留学生ビザのせいで不可能になったので、全く違う道を選んだら、案外そのほうが幸運だった。就職氷河期世代なので、入社できるときに就職し、結婚したという選択は、結果的には良かったと、今となっては思う。
不運だと嘆いたら幸運だった、というエピソードは、その後も数多くやってくる。
結婚後、私の初めての妊娠は、流産で終わった。その後を振り返ってみよう。流産、出産、流産、出産、流産、流産、流産、出産、、、と、出産回数よりも流産(流産とは、産科での臨床的妊娠確認後の、心拍停止による流産を指す)回数が多い。途中、三連続で流産が続いた時は、完全に闇に落ちた。死んだ子の染色体検査結果を握りしめて、会社へ向かった通勤電車で、目の前にマタニティマークを付けた女性が座っていた時に、不妊様の気持ちが痛いほどわかった。はい、私は不妊様だった。心は泥のように闇だった。
不育症治療は原因不明が多い。治療費が高額すぎて、一錠1000円の免疫抑制剤を毎日二錠服薬するよう提案されたとき、私は治療を放棄する決断をした。不育症は不運である。しかし、私自身は生きている。
不妊治療(当時は全額自費)に使っていた時間を、ジムの筋トレに使い始めった。90kgが持ち上がるようになった時、私は再度、妊婦になった。「でも流産になるかもしれないな」という漠然とした不安があったので、私は私の心身を優先して生きることにした。病気の時は、医師に確認して処方薬を飲んだし、意義のないルーティンや、加持祈祷もしなかった。何も安産祈願をしなかった。何かに依存しない。これが、私が妊娠中、死産からの恐怖をのりこえて、メンタルを安定できた方法だったと思う。今思っても、三女の妊娠中は幸せだった。私自身のために、生きることができたから。
今、流産、死産で苦しんでいる(いた)全てのひとたちに伝えたい。その経験は、必ず将来への自信の成長につながってくる。自分を癒し、労わってほしいと願う。スピリチュアルに走るより、自分を認めてあげて、次の自分を楽しく生きてほしいと思う。生き方は多様だから。
他にも不運はある。最後の閉めとして、私が末子の出産後、無職に陥った不運話も書いておこうと思う。
令和の、育休推進がされている時代に、私は育休中に会社からリストラ宣告を受けた。いわゆる育休切りである。正社員が育休中にリストラされるとは寝耳に水だった。前夜に私は上司と復職プランを協議したばかりだったのに、更に上層部のトップダウンで、部門が削減され、私はその人員削減の一員になったのだ。
新卒採用から正規で勤め続けたのに、突如育休切りされた、乳児をもつ40代中年女性が、一から再就職を探すことになった。完全に不運である。しかし、それは、私に、新しい知識や経験をリスキリングさせ、再び労働市場に出ていくという機運になった。
そして私は、この時の転職活動で、子持ち女性が正社員で働くことの大変さを改めて感じ、男女平等、DEIとは何なのかを再考する機会にもなった。ガラスの天井は本当にある。子を望む、あるいは、子持ちの女性に下駄を履かせなければ、平等にならないと体感した。
不運は、決して不運ではない。next stepを考える起爆剤になる。それが幸せをもたらすかもしれない。あなたを強くさせるかもしれない。
不運な渦中にいるときは、本当に絶望だと思う。そして、不安で不眠で鬱で、人生オワタ/(^o^)\と思う。でも、人は成長するし、時間が必ず解決する。そして、不運に直面し、別のステップを考えるきっかけになる。
人生には、たくさんの偶然性(ガチャ)が存在する。それゆえ、不運につながることがある。それもまた、幸運への材料にしてほしい。不運は永遠ではなく、あなたを変えるきっかけになれるから。だから私は言う。不運だったことが、幸運かもしれないと。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?