多子のキャリアはギャンブルだ

今週、有給休暇を取った。私のために、私の権利として、私を休ませるために。しかしながら、現実は、ゴールデンウイーク後の保育園からは、どのウイルスの仕業かは不明だが、風邪が相次ぎ、三女も早々に発熱し、在宅ケアが必要になった。オワタ/(^o^)\

私は、虚しさ以上に苛立ちを覚え始めた。誰の人生を生きているのかと。法律上、児童福祉の第一義的責任者である保護者である私が、育児放棄をすることはできない。そこに、先日、リスキリングをしたくて参加したウェブミーティングにて、私の質問に対して、N主任教官の「母親は育児に専念してください」「こどもにとって、お母さんの貴重な時間を僕たち(教育者)は奪うことはできない」というお花畑回答がリフレインする。

少子化を加速化させる発言を、私は許さない。
母親を苦しめる神話を、私は許さない。
子どもを産むこと、育てることが、ペナルティになる社会は滅亡する。次世代が激減するということは、社会福祉の存続にかかわるのだ。

恐らく、私は貪欲なのだと思う。結婚、妊娠と、育児と、何度もライフイベントで引き際があったであろうに、そこで仕事から離れなかった。何度もマタハラにあったし、闇落ちしたし、決して楽な人生ではなかったけれど、私は子どもや夫に依存するのではなく、子どもを育てつつ、自分の道を開きたかった。

なぜなら、三姉妹は、いずれ、母親という道を選ぶ可能性があるからだ。
彼女たちは、私の背中をみる。私は、彼女たちのロールモデルでありたいと願う。

もし、私が、女は勉強よりも婚活だ、とか、結婚は墓場だ、とか、妊活は闇だ、育児は仕事への障壁だ、とか、様々な偏見を彼女たちに与えてしまったら、、、それは毒親であり、彼女たちへの人生選択にネガティブな方向で関わってしまう。だから、私は特定の価値観を植えつけたくない。生きることは楽しい(はず)だ、と思わせたい。単に受験勉強や就活という手段ではなく、日々のあなたの学びや働きが、あなたを高めてくれるのだと、思わせたい。だから、ジャグリングのように、今日も私は三個のお手玉(三姉妹)を転がしながら、ギャンブルのように仕事や生活が予測不能に結果を運んでいく。


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