こころに花束を、一輪でも仏花でも。
二十年以上ぶりに、アメリカ人の友人と再会をした。お互いの二番目の子どもが同じ学校、学級に在籍するという、奇跡的な再会方法だった。これをreconnectionと呼ぼう。
学生だった当時、彼女が知っていた唯一の日本人が私で、同じ大学寮に住み、語り、青春を過ごした友人だ。しかし、当時は私も学部生で若く、当時の携帯も解約し、住所も変わり、私と彼女との交流は途絶えた。結婚して二人とも姓が変わった。SNSが発達しても、益々、私達はお互いを探せなくなった。
というのが諸行無常だと思っていたら、40代になって、私達はママ友として再会することになった。彼女は仕事のため家族で日本に赴任してきて、あてがわれた居住場所、子供たちの通学先が、私の娘が通う学校、学区だった。
よくある、ふんわりとしたママ友同士の自己紹介の中で、私の名前と顔にきづいた彼女が、突如彼女が言った。
"What's your maiden name?"(旧姓は何ですか?)
そこで、私も答えながら、マスクを外した。そしてお互い、目を見開きながら、旧友だと確認した。私は、多分これ以上の衝撃を感じることはないだろう。外国人同士、もう再会できないだろうと思った人に、私は母国で再会できた。人生のボールは私に投げられた。
その後、度々、彼女と忙しい合間をぬって、話すことがある。人生の半分以上、私達は別々の場所で、別の人たちと生きてきたから、20数年間のヒストリーを把握することはとても時間がかかって、私たちはまだ、パズルのピースを少しずつはめていくように繊細に話しながら、キャッチアップを楽しんでいる。そして、勇気づけられている。
ある日、彼女が、「私は子供のパフォーマンスがあるときに、子供に花を渡す」といって、私の子どもとご自身の子どものために、花束を買ってくれた。「これをプレゼントにしてください(ラッピングしてください)」と初々しい日本語を使って、彼女が花屋さんに言うと、花屋の店員が、「仏花ですけど?」と言ったので、背後にいた私が「それでOKです」とフォローした。
私は、自分が、誰かのために花束を買う発想さえないくらい。忙殺されていたけれど、そうか、花を子どもに送るっていいな、と漠然と思った。それが仏花だから失礼とか、文化が違えば関係ない。花は花だ。
うちの娘は仏花を喜んだ。とても喜んだ。そして、他のお母様からも一輪の黄色い花をもらった。
今、その一輪の花と仏花を横に、つづっている。我が家は花瓶がないので、ペットボトルに水を注いで。今日も、私のこころの学びは続く。