多子はキャリアを詰むのか

もし私が人生をやり直せるとしたら、私は子ども一人でもよかったのかもしれない。子どもを産まなくてもよかったのかもしれない。

もし東京にいて、変化の激しい業界で、仕事に精進していくならば。

仕事が生きがいになれたかもしれない。私はスーパーウーマンになれたかもしれない。

私は幼い頃、男尊女卑が残る地域にいた。「女は理論的に話せない」「そんなに勉強して何になるの?師範学校に行くんか?」「女は数字に弱い」だの、様々なバイアスのシャワーを浴びて育った。子どもの頃の女子としての心理的抑圧感は、その後の私の反発を生んだ。

私は地元での大学受験をしなかった。ひとり暮らしをするため、日本の他の地域の大学、大学院に進み、アメリカへ国費留学もした。手に入れることができる学びの機会は存分に取りに行った。合コンには全く行かなかったが、大学、大学院の教授等が設けるオフィスアワーにはよく顔を出した。そしてふと、思い出した。「勉強しすぎた女は結婚できへん」と昔言われたことを。それを反骨精神にするかのごとく、大学院時代、彼氏と婚約した。

私が社会人になった後なら、非常勤講師で低所得だった男との婚約を決断できなかっただろう。たまたま二人とも同じステータスだったから、婚約に違和感がなかったんだろう。結婚は文字通り、勢いだ。そして、就職も、出産も。

気づけば、三姉妹の親になった。全員女子だ。私は彼女たちに、私が過去に受けたような、女子だから、という偏見を植えつけたくない。でも、内心、本音はある。現代日本で、女性は子どもをたくさん産むとその数だけタスクがふえ、困難を抱えることを。私は少子化を願っていないし、女性には産みたいときに産みたい数を産んでほしいと願う。娘をもつ親として、男女平等で多様性を信じながらも、現実では、働く母親として、色々な制限を感じている。でもひとつだけ、努力している。私は娘たちに、毒親のように自分の生き様や価値観は押しつけない、と。



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