「感想」の書き方について考える
今回この記事を書こうと思ったのは、お題箱にこういったお話を入れていただいたのが切欠です。
わかる......!! 言語化、難しいよな......!!!!
私も言語化がそこまで上手いわけじゃなくてもどかしく思う日々なのですが(なので拙い感想を「好き」と言っていただけてとても嬉しいです。ありがとうございます)、ここ数年自分なりに感想を綴ったり言語化したりする時に気をつけていることを書いていこうと思います。参考になるかは.......分からない......私は毎日雰囲気で文字を打っている......。
○感情を分類して「どうして?」を突き詰める
箱に入れてくださった方が挙げられている「ヤバい」を筆頭に、この世には便利な言葉が沢山あります。他にも「しんどい」「エモい」「凄い」なんかがそうです。実際私も作品に触れた時「これヤバいな!!!!!!」と思うことが沢山あります。
そこから感想を書こうと思った時、まず行うのが「ヤバい」の分類です。「ヤバい」は良い意味でも悪い意味でも使える言葉で、その意味は「良過ぎてヤバい」だったり「酷過ぎてヤバい」だったりします。だからまずは自分が感じた「ヤバい」はどういう意味での「ヤバい」なのか?を考えるところから始まります。
とは言っても、「ヤバい」からすぐに長文感想ツイートが出てくるわけではありません。初めはごく簡単な分類から始まります。自分はこの話を見て、嬉しいと思ったのか? 悲しいと思ったのか? そのくらいで大丈夫です。箱に入れてくださった方の言うような「楽しいな」でも大丈夫です。
例えば、私はポケットモンスターソード・シールドに出てくる主人公のライバル、ホップがトーナメントで主人公に負けた時に言うこの台詞を初めて見た時、自分の感情が何なのかも分からないままガチ泣きをかましました。
ガチ泣きの様子はこっち(声が出るので苦手な方は注意お願いします)
このガチ泣きの理由を言語化しようとした時、まず考えるのは「どうして自分は泣いたのか?」です。悲しかったから泣いたのか、嬉しかったから泣いたのか、涙はプラスの感情でもマイナスの感情でも出るものなのでちゃんと分類する必要があります。この時私が泣いたのは、「嬉しかったから」と「ホップが好きだと改めて思ったから」だと私は分類しました。
そうやって自分がどんな感情を抱いたのかを確かめられたら、次に考えるのは「自分がどうしてそう思ったのか」です。何も無い空白を見て嬉しいと思ったり、悲しいと思ったりする人はいません。感情を動かされたからには何か必ず理由があるはずです。たとえば登場するキャラクターが凄くいい事を言ったとか、好きなキャラクターが死んでしまったとか。
例に挙げた場面で私が「嬉しい」「ホップが好きだ」と思ったのは、どちらも「『オマエがいてくれてよかった』という言葉を言われたから」です。フィクション作品の感想では特に、こういったこの登場人物のこの言葉に感動したという経験が多くなるのではないかと思います。
次に考えるのは、「どうしてそれを嬉しい/悲しいと思ったのか?」です。この項目のタイトルにした通り、こうしてどんどん「どうして」を突き詰めていくのが個人的な言語化の方法になります。箱に入れてくださった方が私の発言から拾ってくださっている「言語化を怠らない」というのは、もっと正確に言うならば「どうして」の突き詰めをせずに”何となく”嬉しいと思った、”理由は分からない”けど悲しいと思った、で終わらせないことを指します。
ただ、これはあくまでも”私が”言語化を怠りたくないと思っているという話であって、「上手く言えないけど楽しかった」「理由は分からないけど悲しかった」という感想も立派な一つの感想だと私は思っています。私が感想をより詳しく言葉にしたいと思うのは完全な趣味と性分の一貫なので、他人にそれを求めるつもりは全くありません。今回は「言語化する際に意識・実践していることは何か?」と質問していただいたので、”上手く言えない””何となく”で終わらせないようにする、といった話を書かせていただきました。
例に挙げた場面でこの突き詰めは、「オマエがいてくれて良かった」という言葉をどうして嬉しいと思ったのか? どうしてこの言葉でホップを好きだと思ったのか? を考えることにあたります。
ホップはこの言葉を、主人公に向けて伝えてくれました。そしてポケモンシリーズではプレイヤーが主人公の名前を決め、動かし、半ば自分のアバターのように動かします。つまり、私はホップが主人公に向けた「オマエがいてくれてよかった」を主人公(=プレイヤーである自分)に向けて言われたような気がして、それが嬉しかったのだと分析しました。
更にこの言葉を特別好きだと思った理由も考えます。この時ホップは主人公に応援されたわけでも、助けられたわけでもありません。それどころか、ホップは主人公に敗北し悔しがってすらいます。試合に負けて、悔しい気持ちもちゃんとあって、普通なら恨み言や泣き言を言ってもおかしくない場面なのにそれでもホップは主人公に「オマエがいてくれてよかった」と祝福の言葉を向けてくれた。だから私はこの言葉で一際感情を揺さぶられたのだと分析しました。
ここで使った「普通なら○○なはずなのに、このキャラクターは××した」というのは色んな作品の感想を書く時に使っている思考パターンの一つです。何かしら感情を揺さぶられたということは、それが何かしら普通ではなかったということです。その普通でないところが自分の感動の核になっている、というパターンは非常に多いと思います。例えば、今回例に挙げているホップのように「普通なら相手を恨んでもおかしくないのにこのキャラクターは前向きな言葉をかけた」といった時はそのキャラクターの優しさや心の強さを感じられますし、「普通なら許すはずなのにこのキャラクターは許さなかった」といった場面ではそのキャラクターのどうしても許せない物が何となく感じられたりします(ここでも「普通なら○○するはずなのにこのキャラクターは××しなかった」を"非常識"や"ひどい"で片付けるのではなく「どうして××したのか」と踏み込んで考えていくと楽しいです)。こういった自分なりに言語化のとっかかりになりやすい思考パターンを見つけるのも、感想を書く時の手がかりになるかと思います。
こうして「どうして?」を突き詰めた結果組み上がった感想をまとめると、以下のようになります。
主人公に負けたホップが主人公(=プレイヤー)に向けて、試合に負けて悔しくて恨み言を言ったっておかしくない状況で、それでも「オマエがいてくれてよかった」と主人公の存在を肯定する言葉をかけてくれたことが嬉しかった
一番初めの「ヤバい(大泣き)」と比べるとだいぶまともな言葉に出来ました。感情が高まって今すぐにでも感想をツイートしたい!と思った時はこの段階でつぶやくことも多いのですが、もう少し情緒に余裕がある時はこの感想に更にそれまで物語の中で話されている情報も付け足してからツイートしたりします。
それまでずっと兄に憧れてチャンピオンを目指していたホップが、言ってしまえば「主人公がいなければチャンピオンになるためのファイナルトーナメントに参加できた」状況で、今までのモーションと違って明らかに心から悔しがっているのに、それでも「オマエがいてくれてよかった」と主人公(=プレイヤー)の存在を肯定する言葉をかけてくれたことが嬉しかった
140字を超えてしまった時は言い回しを変えて上手いこと140字に収めます。こんな感じで、ソーシャルゲームや据え置きゲームやアニメなど長い時間をかけて一つの物語を読むタイプの作品の場合、それまでの物語で話されたことや演出をしっかり覚えておくと感想を書く時助けになります。例に挙げた感想でいえば「ホップは兄に憧れてチャンピオンを目指していた」「ホップがバトルに負けた時のモーションが今までと違っている」がこの点にあたります。
とは言っても、一言一句、一挙手一投足を覚えておくのは普通に無理なので、重要そうなところや今後伏線になりそうだなと思ったところを押さえておけば基本的に大丈夫だと思います。その重要そうなところや伏線になりそうなところが分かんねえんだよ!となった場合は、とにかく媒体問わず色んな物語を読んで重要なところや伏線になりがちなパターンを覚えるのが多分一番良いです。国語の問題でありがちな「この文章の要点を○字以内で述べなさい」と同じ要領です。
それが難しいなと思ったら、自分が好きだと感じたところを覚えておくのが良いのかなと思います。重要そうなところが分からなくても、好きなところは多分自分で分かると思います。そしてその好きなところが終盤で重要な情報と繋がった時の感動は、良い体験を与えてくれるし言葉にしてみるとっかかりにもしやすいんじゃないかな、と思います。そうやって「好き」を積み重ねていくうち、自然と重要そうなところ、伏線になりそうなところも分かっていくんじゃないかなと思います。
ここではポケットモンスターソード・シールドを例に挙げましたが質問主さんが剣盾を知らなかった場合例え話として訳の分からないことになっているかと思うので、この作品を例に挙げてくれ!というのがあればお手数ですがまた箱に入れていただければと思います。
○他の人の感想に触れる
他の人の感想に触れると、新しい物の見方や語彙を得られます。自分一人で感想を書いているとどうしても視点が偏りがちになるので、それを正す意味でも他の意見を見るというのは大切だと感じます。自分の感情に当てはまる言葉が上手く見つからないな、と思った時は、他の人の感想で使われている語彙が参考になったりします。文章を丸ごとパクるのは駄目ですが、単語は誰でも使えるパーツなのでこれは良いな、と思った単語はどんどん取り入れていくのが良いと思います。
そして、共感できる感想を読むのは勿論のこと、共感できない感想を読むのも良い刺激になると個人的には思います。共感できない感想は、「どうして自分はこの感想に共感できないと思ったのか」という”どうして”の起点にしやすいです。自分がプラスに受け取ったこの場面をこういう風にマイナスに受け取った人もいるんだ、といったような、共感できる感想を読んだ時とはまた違う新しい物の見方を得ることもできます。
ただ、共感できない感想は怒りに脳が支配されそうになることも間々あるので、感情に走らず「どうしてその感想に怒りが湧いたのか」を分析する必要があり、精神衛生上多分あまり良くはないです。共感できない感想から”どうして”を考えるのは、心が疲れていない時かつある程度言語化に慣れた頃にするのが良いかなと思います。怒りは時に正の感情以上のパワーを持つ場合があるので、諸刃の剣のような存在と言っていいかもしれません。実際に私が「ちゃんと感想を言語化しよう」と思った切欠は共感できない感想への怒りからでした。とはいえ自分に合わない感想を言っている特定個人を直接攻撃するのは当然道徳と人間性に問題しか無いので、あくまでも共感できない気持ちは自分の感想を出力する切欠とするのにとどめましょう。
○物語全体、キャラクター全員を見る
ソーシャルゲームを筆頭に所謂キャラカタログゲームが増えて、”推し”という言葉も世間的に定着し始めました。そんな中で自分が感想を書く時に気をつけているのは、作品全体を見渡すことです。作品ごとに特に好きなキャラクター、”推し”は私にも沢山います。その上で、推し”だけ”を見て作品の感想を話すのは避けたいな、というのが個人的な心がけです。
当然ですが、一つの作品は私の推しだけで成り立っているわけではありません。世界観があって、多くの登場人物があって、多くの物語があって、その中に私の推しが生きています。その推しも一人で生きているわけではありません。推しを好きだと思う人、嫌いだと思う人、何とも思っていない人、特別な関係を築いている人、何の関係も無い人、それら全てをひっくるめて推しは一人の登場人物として存在しています。
推しについて語るのは良いことです。私も頻繁に話すのはやっぱり推しのことが多いですし、他の人の推し語りを見るのも好きです。そのキャラクターを推している人の話は大体フィルターがかかっていて信用できないといった言説も時折見かけますが、私はやっぱりそのキャラクターを特別好きだと思っている人だから気づける事だって沢山あると思いますし、もしも推しの話にフィルターがかかっているのだとしたらその時正すべきは推しを好きな気持ちではなく物の見方にフィルターをかけている読み取り方そのものだと思っています。ただ、推しができるというのはそれだけその作品に良い部分があったということで、一つの作品が推しだけで構成されている物ではない以上、推しだけを見て作品全部を評価できるわけではないんじゃないかというのが個人的な考えです。作品に推しを人質にとられているといった話も時々見かけますが、私はそういったパターンに自分が遭遇したことがなくて、推しが好きでその作品が好きといったパターンが大体全てなので、そういった特殊な場合は割愛します。
私は冷静に考えても心の底から嫌い・無理と感じるキャラクターに人生で出会ったことがないのですが、キャラクターの言動を見て瞬間的にうわ無理!!と思ったり最悪!!と思ったりしたことは沢山あります。そういった負の感情も、推しへの「好き」の気持ちと同じくらい”どうして”のとっかかりになりやすいものです。これは先ほど書いた共感できない感想が”どうして”の起点になりやすい、という話と少し通ずるものがあるかもしれません。こういった負の感情から考える感想は、推しだけを見ていては得られないものです。
負の感情についてもう少し掘り下げるならば、基本的にキャラクターや物語は読み手に嫌われるように作っているものはほとんどありません。勿論シンデレラに出てくる継母のような分かりやすい悪役は読み手のヘイトを集めるための悪役で嫌われるように作られていますが、主人公側に立っているキャラクターやソーシャルゲームでカタログの1つになっているキャラクターが嫌われるため作られるというのはあまり無い(最近は逆張り系の作品も多いので主人公側にヘイトを集める悪役のような登場人物がいることもあるかもしれませんが)と思います。登場人物や物語が好かれなければ作品が愛されないのだから、もっと明け透けに言えば商品が売れないのだから、作り手が登場人物や物語をある程度好かれるように作るのは当然です。だから余計に、"好き"以上に"嫌い"や"無理"の感情には何かしら読み手側の考えが色濃く出るように思います。それが作り手側との相性の悪さなのか、それとも個人的な好みの話なのか、その辺りを感情のみならず理屈でも考えてみるというのは良い言語化の訓練になると感じます。しかし先述した共感できない感想の話と同様、負の感情に向き合い続けるのは考えの偏りの切欠になりやすいのと単純に疲弊するので、やっぱり心が健やかな時に試すべき手法だと思います。好きな物に心を砕いた方が楽しく生きられるし、自分の内側だけで消化するならばともかく、何かに対する「嫌い」や「無理」を表に出すのは「好き」を口にする以上に難しく相応の責任も伴います。
また、推しというほどではなくても”普通に好き”なキャラクターからしか得られない感想も沢山あります。どうして特別好きとまでは言わずともその登場人物を好ましく思ったのか? 特別好きと普通に好きの違いは何か? そんなことを考えて言葉にするのも感想の一つになり得ます。推しというアイコンが出来て、一人の人が一つの作品で一人のキャラクター(または一つのグループや所属集団)だけを好きで狂っているのが当たり前のように思われがちですが、私は一つの作品に好きなキャラクターが沢山いて、推しじゃないキャラクターについて沢山話したって構わないと思います。他のキャラクターや推しに関係無い物語の場面を見ることが結果的に推しの魅力の再発見に繋がることもありますし、推しと何の関係が無くても自分の新しい「好き」の気持ちや思考パターンの発見に繋がることもあります。推しを通してその作品を好きだと思ったのなら、推しだけを見るより、作品全体の好きなところ、その作品を形作る推し以外の登場人物や世界観、逆にここは苦手だな/よく分からないなと思ったところにも目を向けようと思い立ったのも、個人的に感想の幅が大きく広がったと感じた出来事の一つです。
○原作に書かれている文章を論拠にする
一つの作品に対して感想を話しながら並行して二次創作をしていて感じたことですが、感想と二次創作の大きな違いは感想は必ず原作に論拠があり原作の文章でその理由を説明できる点だと個人的に思っています。一つ目の項目で「嬉しい/悲しいと思った理由を考える」という話をしましたが、感想を抱いた理由は原作に存在するテキストで説明できるようにするというのも心がけている点の一つです。
行間を読むという表現がありますが、そもそも本文を読めていなければ行間は読めません。まずは難しく考え過ぎず、原作に書いてあることそのままを元に考えを深めていくのが良いのかな、と思います。基本的には書いていることを読むだけで楽しめるよう世間に向けて販売されている作品は作られているはずですし、行間を読まないと面白くない・本当の意味が理解できない作品は情報の取捨選択に失敗している場合がほとんどです。私は面白いと思ったものにいちいち長文ツイート感想を流しがちですが、本当に面白い作品は小難しいことを考えなくても面白いですし、何も考えなくても面白いと思えるからこそもっと掘り下げて考えてみようと思えるんだと思います。
○まとめ
色々書きましたが、感想や感情の言語化をしてみたいと思い立った時に私がしていたのは
・自分の抱いた感想や感情を「どうして」で突き詰めていく。「どうして」の理由は自分の想像や外部の情報ではなく作品内に存在している情報やテキストを根拠に説明できるようにする
・共感できる感想や、感想でなくても自分が惹かれる言葉選びの文章に触れて、自分でも応用できそうな自分の言葉にできない気持ちを表せる単語を学ぶ
・色んな作品に触れて物語の重要そうなところや伏線になりそうなところ(謂わば”お約束”)を知る。重要そうな情報は最後までちゃんと覚えておく
あたりです。他にも色々書いていることは更に作品を掘り下げていきたいと思った時にやってみるので構わないと思います。
最後になりますが、質問主さんが「自分で感情を言葉にしてみたい」と思われたことが、私はとても素敵なことだと思います。時折いろんな感想に対して「作者はそこまで考えてない」と意見を出す人が居て、実際に作者は流石にそこまで考えてないんじゃないかと思いたくなるような都市伝説めいた謎考察が存在しているのも事実です。それでも私は作品が人の手で作られた物である以上そこには必ず何かしらの意図があると思っているし、何かしらの意図があってほしいと願うのは読み手の自由だとも思っています。誰が何と言っても、実際に作者はそこまで考えてなくても、読者の感想は読者のもので、それを大切にしたい・言葉にしたいと感じる気持ちは素敵なものだと思っています。
この記事が参考になるかは分かりませんが、質問主さんの感じたこと、考えたことが形になる手助けが少しでも出来たら幸いです。ただ、記事の中でも少し話した通り私は「何となく好き」「理由は分からないけど楽しい」といった感想も尊重すべき感想だと思っているので、あまり無理はし過ぎないようにというか、自分を追い込んだりはしないようにしてください。どんな言葉を与えても、何の言葉にならなくても、あなたの抱いた思いは唯一無二の大切なものです。いやそんな話をしたいわけじゃないとは思うのでこれは本当に余計なお節介だと思うんですが……。
そんな感じの自分なりの「感想」の書き方でした。お粗末さまでした。