2.ビッカースタッフ脳幹脳炎【難病指定128】はじまり
かきだ詩
夢を壊されたと思った。
でも振り返ると自業自得だった。
なぜ、自分を許せなかった?
なぜ、あんなに周りに合わせてた?
でもまぁ、あの経験があったからこそ
40歳を超えて、人生後半が楽しくなって来た。
今日も生活は平凡です★彡
私の未来。
20代前半でデビューして、30代になったら、楽曲提供しながら自分の音楽をして生計を立てる!!!
これが漠然とした人生計画だった。
まぁ、そんな簡単に行くはずがないよね。
毎日8時間くらいコードを押さえながら、ジャカジャカとギターを弾いて“どうすれば滑らかに弾いてるように見えるか?”“どうやったらかっこよく歌えるか?”って研究をしていた。
2004年3月、上京したての私の友達はギターと作曲ノートだった。
生活は少し変わった。
ある日は、朝、事務所に出勤。
ブログを書いてコメント呼んで、
防音工事したばかりのスタジオで練習を1時間くらいして、うちに帰る。
ある日は、事務所に出勤してマネージャーさんとライブの現場に向かって、リハして本番して、物販販売などして帰宅。(これが頻繁に続いていた)
楽しかった。
東京生活は、初めてのことばかり。上京したての田舎者女子丸出しです。
その頃は、世田谷の千歳烏山に住んでいたな。
近くには商店街、小さい踏切を渡った先にあるコインランドリー併設の銭湯など、沖縄では見れない光景が広がっていた。
ちなみに吉祥寺までのバスも出ていたので、よく遊びに行ってた。
まぁ、千歳烏山と言えば、世田谷の端だったので、少し行くと緑がたくさんあって、住みやすかったな。
半年近く経った頃、福岡でのライブが決まりました。
うちの稼業は、全国のデパートで開催される職人展や沖縄物産展などに宝石珊瑚を出展販売をする稼業でしたので、そのつてで福岡のデパートで開催される沖縄物産展の一角のステージで歌わせてもらうお仕事を上京して半年経ったくらいの時にいただき、福岡にてライブを行った3日目最終日の朝、私の人生最大の事件が起こったのです。
起きてるのに瞼が上がらない。
経験したことのないこと。
痛みとかそんなの全くなく、ただ起きている感覚はあるのに瞼が上がらない。
一瞬パニックを起こした。
痛みはなくても息がうまくできない。
とにかく瞼を上げて、携帯電話を探し、マネージャーさんに電話。
私の性格上、あれもこれもキャリーケースから出すことはしないので、とにかく昨日の記憶から手探りで荷物をまとめてフロントへ。
あの時の記憶はいまだに鮮明に残ってる。
あの日の私、よく頑張ったと思う。