今回は、中期中観派の帰謬論証派である仏護(ブッダパーリタ)の理論化例を見ていきます。帰謬法(背理法)については、下記の記事をご参照下さい。
仏護は、龍樹の「アートマンに関する同一性と別異性のディレンマ」を次のように置き換えています。
仏護は、龍樹のディレンマの二つの選言肢の一つずつを帰謬法で論証しています。彼自身は帰謬を論証式として陳述しなかったのですが、あえて形式化すれば、第一と第二の帰謬式は、次のようになります。
○問題点
帰謬法はインド論理学でも定言論証式の補助手段であって、それは含意的に、それ自身の小前提(仮定)と帰結との矛盾命題を反証します。上の二つの帰謬式を定言式に置き換えると、それぞれ次のようになってしまいます。
つまり、仏護は間接的に上記の定言式を主張してしまったことになります。これは明らかに龍樹の真意と逆になってしまいます。
また、第一肢で「自我は心身の諸要素と同じでない」と主張したことになるため、第二肢で「自我は心身の諸要素と別でない」と主張すると矛盾してしまいます。二つの主張を合せれば本来の意味に近づくのですが、それでは理論としては成り立ちません。