今回は『中論』における龍樹と反対派(おそらく有部)の議論を見ていきたいと思います。
両者で「本体」の定義、「空」の定義を確認し合わないまま議論が進められているため、すれ違いが生じているように見受けられます。
反対派(有部)は、一切が空であれば、煩悩を断ずる・涅槃を得るということがなくなると主張します。「空」を一般的に考えると、反対派の主張は確かにその通りです。しかし、それに対し、龍樹は逆に一切が不空であれば、煩悩を断ずる・涅槃を得るということがなくなると反論します。龍樹の基準では、不空=本体として存在するものは生起も消滅もしないからです。
この「空性」の会得こそが解脱であり、涅槃であると龍樹は説きます。
▽有部の涅槃
・択滅無為(無漏の智慧による煩悩の消滅)
心身法の集合体(有情)と潜在煩悩の法体との得(結合)を一つ断つごとに、一つ涅槃が得られるとします。全て断った場合、無学道となります。
▽有部の輪廻
ある有情が過去世に落射した法体が異熟因や増上縁として(業として)機能し、未来世の次元における新たな心身法の集合体の形成が引き起こされます。それが有部の輪廻転生観となります。