- 運営しているクリエイター
#阿頼耶識
【大乗仏教】唯識派 識の変化
唯識派の思想において、人間的実体(主観的存在)と想定されるものは、生じた瞬間に滅する「識」が次々に継起して形成する識の流れです。そして客観的存在と考えられるものも、「識」の内部にある「表象」に過ぎません。識が瞬間ごとに表象を持つものとして発生することが「識の変化」です。実際にあるのは「識の変化」であって、それを人は主観的存在(自己)あるいは客観的存在と想定しているに過ぎないということですね。「識の
もっとみる【大乗仏教】唯識派 三性説⑤
弥勒(マイトレーヤ)の三性説の説明が長くなってしまいましたが、今回は無著(アサンガ)の著書である『摂大乗論』における三性説を見ていきます。
・依他起性(雑染と清浄の二分)
阿頼耶識を種子とし、虚妄分別によって集められた表象(相分)です。阿頼耶識という種子から生じた十一種の表象が説かれますが、これらは阿頼耶識の種子から生じた六識の内部にある六根・六境・器世間といった相分と同義と考えられます。
・
【大乗仏教】後期中観派の中核2
以下の前回の記事の続きになります。
ここで、形象とは唯識思想における主・客(主観・客観)を指します。即ち、主観=末那識+六識、客観=六識内の表象です。そして、照明と光り輝く心は同じものを示しており、阿頼耶識の中心(主客を照らす箇所)となります。阿頼耶識の表層には種子が保存されており、この種子から形象と次刹那の阿頼耶識の表層自体が生起します。
第一の段階では有部や経量部など、アビダルマ哲学の十八
【大乗仏教】後期中観派の中核3
下の記事の続きになります。
後期中観派の中で、より中観派的な立ち位置のシャーンタラクシタらは一般理解の立場において、「外界の存在を否定し、心(内界)のみの存在を肯定」しました。即ち、唯識派の立場を一般理解の立場で認めたものの、最高の真実としてはその心(形象だけでなく照明)の実在性をも否定したのです。真如(真理)とは「心の照明をも超越した絶対的な空」としたのです。
しかし、後期中観派の中で、無形