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大乗仏教 如来蔵思想・唯識思想

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#有形象唯識論

仏教認識論

仏教認識論

上座部仏教・大乗仏教における認識論的立場は、主に「無形象知識論」「有形象知識論」「有形象唯識論」「無形象唯識論」に分けられます。前半二つは内界・外界ともに実在として存在するという立場で、後半二つは外界は存在せずに内界だけが実在として存在するという立場です。それぞれの立場において、「我々の意識体験」がどのように作られているのかを、「今、私がリンゴの木を見ている」体験を例にお話ししていきたいと思います

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【大乗仏教】唯識派 仏の三身・四智

【大乗仏教】唯識派 仏の三身・四智

仏の三身
仏陀(如来)に法身・受用身・変化身の三種を認める三身説は唯識派によって完成されました。ただし、初期大乗仏典である『華厳経』『法華経』において、既に如来の法身と化身という思想は登場していました。さて、三身の呼称には相違があり、「法身」に相当するものは自性身とも呼ばれます。そして、受用身は「報身」とも呼ばれますが、例えば阿弥陀如来が極楽浄土を持つように、仏の報身はその仏国土をもち、楽園の荘厳

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【大乗仏教】唯識派 無漏の種子

【大乗仏教】唯識派 無漏の種子

有形象唯識派の護法(ダルマパーラ)は「心の本性は清浄であって、煩悩はただ偶発的に心に付着した外的要素にすぎないという説」を受け入れることを拒みました。護法は、心の本性が空性・真如であるならば、それは恒常不変であるため、瞬間ごとに生ずる(刹那滅の)心の原因とはなりえないと考えたのです。また、それ(恒常な心の本性=空性・真如)が心そのものであるとすれば、心は基体的同一性を保ちつつ瞬間ごとにその様相を変

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【大乗仏教】シャーンタラクシタの唯識派批判

【大乗仏教】シャーンタラクシタの唯識派批判

前回は、シャーンタラクシタによる有部の無形象知識論批判と経量部の有形象知識論批判を見てきました。今回は、シャーンタラクシタによる有形象唯識論批判と無形象唯識論批判を見ていきたと思います。

有形象唯識批判

【有形象唯識論の特徴】
・外界は存在しない
・照明(阿頼耶識の中心)と形象(阿頼耶識の種子とそこから生じる主観と客観)は実在する
・思惟や感情といった、表象以外の精神作用は真実在ではない

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【大乗仏教】後期中観派の中核2

【大乗仏教】後期中観派の中核2

以下の前回の記事の続きになります。

ここで、形象とは唯識思想における主・客(主観・客観)を指します。即ち、主観=末那識+六識、客観=六識内の表象です。そして、照明と光り輝く心は同じものを示しており、阿頼耶識の中心(主客を照らす箇所)となります。阿頼耶識の表層には種子が保存されており、この種子から形象と次刹那の阿頼耶識の表層自体が生起します。

第一の段階では有部や経量部など、アビダルマ哲学の十八

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