マガジンのカバー画像

大乗仏教 如来蔵思想・唯識思想

29
運営しているクリエイター

#光り輝く心

【大乗仏教】如来法身の遍在

【大乗仏教】如来法身の遍在

前回の記事の続きになります。

如来法身が応身(化身・色身)の仏として、世に現れるという思想を前回の記事で説明しましたが、今回は如来法身が万物に遍在しているという思想を見ていきたいと思います。

また、「華厳経 十地品」では万有即ち仏身であることがより明確に説かれています。菩薩大士は一切の生物界(衆生身)、国土・山川などの自然界(国土身)、道徳界(業報身)、声聞身、縁覚身、菩薩身、真理の体現者(仏

もっとみる
【大乗仏教】如来蔵思想 光り輝く心

【大乗仏教】如来蔵思想 光り輝く心

「華厳経」以前の初期大乗仏教の経典においても、「如来は法を身体とする」という教えが登場しています。いくつか例を示します。

これらの思想が「華厳経」における「如来法身の偏在」という思想へ繋がったものと思われます。詳細は前回の記事をご参照ください。

如来法身の一部は我々衆生にも仏性(如来蔵)宿るとしますが、その我々に宿る仏性は「浄く輝く心」「光り輝く心」「自性清浄心」等と表現されます。煩悩に塗れた

もっとみる
【大乗仏教】如来蔵とアートマン(真の自己)

【大乗仏教】如来蔵とアートマン(真の自己)

前回の記事に続きになります。

前回は如来蔵を「光り輝く心」という点から見ていきました。今回は如来蔵を仏性や如来法身から分化したものという点から見ていきます。

如来蔵は、遍在する如来法身の一部が我々衆生に宿ったもので、それ自体は清浄であるものの、煩悩によって覆われています。「智光明荘厳経」における光り輝く心と同じものであることが分かります。

我々の如来蔵があらゆる煩悩に纏わりつかれているために

もっとみる
【大乗仏教】唯識派 仏の三身・四智

【大乗仏教】唯識派 仏の三身・四智

仏の三身
仏陀(如来)に法身・受用身・変化身の三種を認める三身説は唯識派によって完成されました。ただし、初期大乗仏典である『華厳経』『法華経』において、既に如来の法身と化身という思想は登場していました。さて、三身の呼称には相違があり、「法身」に相当するものは自性身とも呼ばれます。そして、受用身は「報身」とも呼ばれますが、例えば阿弥陀如来が極楽浄土を持つように、仏の報身はその仏国土をもち、楽園の荘厳

もっとみる
【大乗仏教】シャーンタラクシタの唯識派批判

【大乗仏教】シャーンタラクシタの唯識派批判

前回は、シャーンタラクシタによる有部の無形象知識論批判と経量部の有形象知識論批判を見てきました。今回は、シャーンタラクシタによる有形象唯識論批判と無形象唯識論批判を見ていきたと思います。

有形象唯識批判

【有形象唯識論の特徴】
・外界は存在しない
・照明(阿頼耶識の中心)と形象(阿頼耶識の種子とそこから生じる主観と客観)は実在する
・思惟や感情といった、表象以外の精神作用は真実在ではない

もっとみる
【大乗仏教】ラトナーカラシャーンティ

【大乗仏教】ラトナーカラシャーンティ

ラトナーカラシャーンティ(ラトナーカラ)は10世紀後半から11世紀初頭にかけて活躍した仏教学者であり、この時代の「無形象唯識派」を代表すると同時に、中観派と唯識派とが二つの異なった伝統ではなく一つのものであることを強調し、両学派の理論を一致させることに努めたとされます。

ラトナーカラが主に議論対決したのは、有形象唯識派と究極的には認識も外界の対象と同じように実在でないとする説(中観派)です。

もっとみる
【大乗仏教】後期中観派の中核2

【大乗仏教】後期中観派の中核2

以下の前回の記事の続きになります。

ここで、形象とは唯識思想における主・客(主観・客観)を指します。即ち、主観=末那識+六識、客観=六識内の表象です。そして、照明と光り輝く心は同じものを示しており、阿頼耶識の中心(主客を照らす箇所)となります。阿頼耶識の表層には種子が保存されており、この種子から形象と次刹那の阿頼耶識の表層自体が生起します。

第一の段階では有部や経量部など、アビダルマ哲学の十八

もっとみる
【大乗仏教】後期中観派の中核3

【大乗仏教】後期中観派の中核3

下の記事の続きになります。

後期中観派の中で、より中観派的な立ち位置のシャーンタラクシタらは一般理解の立場において、「外界の存在を否定し、心(内界)のみの存在を肯定」しました。即ち、唯識派の立場を一般理解の立場で認めたものの、最高の真実としてはその心(形象だけでなく照明)の実在性をも否定したのです。真如(真理)とは「心の照明をも超越した絶対的な空」としたのです。

しかし、後期中観派の中で、無形

もっとみる