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大乗仏教 空の思想

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2022年2月の記事一覧

【大乗仏教】空の思想 阿弥陀如来の極楽浄土

【大乗仏教】空の思想 阿弥陀如来の極楽浄土

「八千頌般若経」に登場した自身の善根(善行の功徳)を自身の完全な覚り(全知者性)の原因へと転換する廻向は、やがて自身の善根(善行の功徳)を他者の楽果(幸福)へと転換するといった意味をも担うようになります。これが「阿弥陀如来の極楽浄土」へと発展したものと思われます。今回は「浄土経典」の内容を見ていきたと思います。浄土経典は五濁悪世(末法の世)の衆生のために釈尊が阿弥陀如来による救いを説いた経典です。

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【大乗仏教】中観派 龍樹(ナーガルジュナ)の思想

【大乗仏教】中観派 龍樹(ナーガルジュナ)の思想

今回から、大乗仏教「中観派」の龍樹(ナーガルジュナ)の思想に入っていきたいと思います。

○龍樹(ナーガルジュナ)と中観派
中観派とは龍樹(ナーガルジュナ)によって創始された大乗仏教の学派の一つです。伝記の上において、龍樹は南インドで活躍したと言われており、現代の一般的な学説でも彼は南インドのデカン高原のヴィダルバに生まれ、成人後も南インドのアンドラ王国で活躍したと考えられています。これは彼が般若

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【大乗仏教】中観派 龍樹の論理形式

【大乗仏教】中観派 龍樹の論理形式

龍樹(ナーガルジュナ)の論理形式については、明快な研究結果が発表されています。龍樹の論理形式として、定言論証式・仮言的推理・ディレンマ・四句否定が挙げられています。

ただし、前回の記事で述べたように、龍樹は本体の世界の論理でこれらを用いているため、あえて本来の形式論理学の原則を無視した使い方をします。龍樹が学んだ論理学は古代インドの論理学であるはずですが、我々現代人に馴染み深い古代ギリシア論理学

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【大乗仏教】中観派 龍樹の四句否定

【大乗仏教】中観派 龍樹の四句否定

前回の記事に続きになります。今回は四句否定について、触れていきたいと思います。以下が前回の記事です。

さて、厳密に一致しないのですが、四句否定を便宜的にテトラレンマと呼ぶ学者もいます。これは龍樹の創見ではなくて、すでに初期の原始仏典にも見られたもので、彼はその伝統を受け継いだだけとなります。『中論』において、龍樹は以下のように四句否定を使用しています。

しかし、四句否定は論理的な問題点があるこ

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【大乗仏教】中観派 原因と結果

【大乗仏教】中観派 原因と結果

龍樹(ナーガルジュナ)の代表的な著書と言えば、『中論』だと思います。下記が『中論』の始まりの文章になりますが、このように龍樹と中観派は自派の定説を持たず、言葉・思惟の形而上学へ執着する他学派への批判が主になります。

故に、中観派の主張の中で積極的な部分を見つけるのが難しいのですが、「相依性縁起」というものは比較的有名だと思います。そこで、今回はその相依性縁起の一つとして「原因と結果」の相依性を見

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【大乗仏教】中観派 十二縁起の拡大解釈

【大乗仏教】中観派 十二縁起の拡大解釈

以下の前回の記事の続きになりますが、龍樹は十二縁起の無明と行についても相互依存関係を説いています。

釈尊の十二縁起における無明と行の関係は、無明から行への一方的な関係のみを指しており、時間的な生起関係です。すなわち、無明が時間的に先で、行が時間的に後になります。原始仏教の記事で述べましたが、筆者は無明も行も「輪廻の主体」に結合したものと考えており、潜在煩悩である無明が過去世の業(カルマ)=罪障・

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【大乗仏教】中観派 自性(スヴァバーヴァ)

【大乗仏教】中観派 自性(スヴァバーヴァ)

龍樹(ナーガルジュナ)は本体・自性(スヴァバーヴァ)を持つものは存在しないとしましたが、彼はその本体というものをどのように捉えていたのかを具体的に見ていきたいと思います。

○龍樹が説く本体・自性(スヴァバーヴァ)

上記の点を踏まえ、龍樹の「自性(スヴァバーヴァ)」の定義について、仏教学者の梶山雄一氏は次のように解説されています。

「自立・恒常・単一」なものだけが本体であるとすると、有部やヴァ

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【大乗仏教】中観派 ニルヴァーナに関する議論

【大乗仏教】中観派 ニルヴァーナに関する議論

今回は『中論』における龍樹と反対派(おそらく有部)の議論を見ていきたいと思います。

両者で「本体」の定義、「空」の定義を確認し合わないまま議論が進められているため、すれ違いが生じているように見受けられます。

反対派(有部)は、一切が空であれば、煩悩を断ずる・涅槃を得るということがなくなると主張します。「空」を一般的に考えると、反対派の主張は確かにその通りです。しかし、それに対し、龍樹は逆に一切

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【大乗仏教】中観派 空性

【大乗仏教】中観派 空性

龍樹(ナーガルジュナ)の空性の定義は依存性(相依性)であり、何かに依存せずに生起したものは存在しないと説きます。そして、この空性を会得する者には全てのものが会得されるとします。逆に、龍樹にとっての本体・自性とは自立・恒常・単一なものであり、このようなものは存在しないと主張しています。

龍樹が説く相互依存関係の例として、これまで「原因と結果」をメインに紹介してきましたので、それ以外についても触れて

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【大乗仏教】背理法(帰謬法)

【大乗仏教】背理法(帰謬法)

中期中観派に入る前に「背理法(帰謬論証)」と「古代インドの論理学」に少し触れておきたいと思います。今回は「背理法(帰謬論証)」を見ていきます。龍樹後の中期中観派の仏護(ブッダパーリタ)が帰謬法を用いて龍樹の説法を論理的に説明しようと試みます。

○背理法(帰謬法)
ある立言$${r}$$が真であることを証明したい時、まず$${r}$$が偽であるとする非$${r}$$、つまり$${\bar r}$$

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【大乗仏教】古代インドの論理学

【大乗仏教】古代インドの論理学

古代インドの論理学について、見ていきたいと思います。前回の記事と同じく「火と煙の関係」を例文として使用していきます。

○ニヤーヤ学派の五分作法の例

古代ギリシア由来の三段論法に外見上は似ていますが、西洋論理学が概念の外延間の関係に主眼を置くのに対し、インドの論理学は基体(例えば山)と属性(例えば火、煙)との関係に着目して分析を行う点に大きな違いがあると言えます。

喩例(喩)の同喩が大前提に該

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【大乗仏教】中観派 アートマンに関する同一性と別異性のディレンマ

【大乗仏教】中観派 アートマンに関する同一性と別異性のディレンマ

龍樹はアートマン(自我・真の自己)とカルマ(業・諸行)について以下のように説いています。

龍樹は主観的な本体・自性であるアートマンを認めません。そして、身心の源になる業(カルマ)もまた、客観的な固有の本体性・自性を持つものでなく、空性と説いています。つまり、身心の諸要素である五蘊とその源になる業は空なので、生起・消滅する特徴を有することになります。

○アートマンに関する同一性と別異性のディレン

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【大乗仏教】中期中観派

【大乗仏教】中期中観派

龍樹の論理が古代インドの論理学(ニヤーヤ学派やディグナーガの論理学)で表すことのできない異質的なものであったことは、五世紀以後の中期中観派にとってはかなり困ったことになっていました。この時代のインドは論理学と認識論が哲学の主流となってきた時代でもありましたので、中観派も自己の哲学思想を主張して他派と論争するためにも、その教義を論理的に発表しなくてはならなかったのです。

中期中観派の中では帰謬論証

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【大乗仏教】仏護の帰謬論証

【大乗仏教】仏護の帰謬論証

今回は、中期中観派の帰謬論証派である仏護(ブッダパーリタ)の理論化例を見ていきます。帰謬法(背理法)については、下記の記事をご参照下さい。

仏護は、龍樹の「アートマンに関する同一性と別異性のディレンマ」を次のように置き換えています。

仏護は、龍樹のディレンマの二つの選言肢の一つずつを帰謬法で論証しています。彼自身は帰謬を論証式として陳述しなかったのですが、あえて形式化すれば、第一と第二の帰謬式

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