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サムシング・ブルー

 昨夜からの雨は、午後になってなんとかあがってはいた。だが空にはまだ厚い雲がどんよりとたれこめていて、それはおよそ、結婚式には似つかわしくない日和だった。
 さすがのあの新婦にも、六月の天候までは思い通りにならなかったか。それともこれくらい、この程度くらいは、天があたしのことを憐れんででもくれたのだろうか。式の会場である林の奥の教会へと向かいながら、あたしはそんなことを思う。
 前を歩く同僚二人は、華やかな装いにも関わらずどことなくうんざりとした気配を漂わせている。職場結婚が決まってからというもの、同僚であった新婦は式の準備といってはちょくちょく仕事を休み、そのくせ会社では、自分の幸せについて事細かに自慢するのが常だったせいだろう。
 もともと気乗りのしない式である上にこの空模様だ。ぬかるみにヒールの足をとられないかとか、ドレスに跳ねがかからないかとしょっちゅう気を揉まねばならないともなれば、うんざりするのも当然だ。二人に対してなんとなく後ろめたく思いながらも、あたしは今、密かな満足を覚えている。
 せめて天気だけでも、今日の式が「完璧な」結婚式にならなかったことに。
「ジューンブライドにこだわったらしいけど、何もこんな梅雨の時季に、ガーデンウェディングにしなくてもねえ」同僚の一人が、灰色の空を見上げて誰ともなしに言う。
 新婦の結婚式へのこだわりは相当なものだった。自分の着るドレスや式の日取りは言うに及ばず、この教会のある式場を選んだのも、自分がイメージする結婚式にぴったりだからなのだという。
 完璧な式にしたいんです。何から何まで、自分の思い通りの。新婦のそんな声が耳に蘇る。彼女がこれみよがしに見せてくれた式場のパンフレットでは、さわやかな木漏れ日の中にたたずむ男女が笑っていた。
「そういえば、サムシングフォーって知ってる?」頼りなげにちょこまかと歩きながら、もう一人の同僚がふいに言った。
「花嫁が結婚式でそれを身につけると、ずっと幸せになれるってジンクスなんだって」
 サムシング・オールド、何か一つ古いもの。サムシング・ニュー、何か一つ新しいもの。サムシング・バロウ、何か一つ借りたもの。そしてサムシング・ブルー、何か一つ、青いもの。
 品々にはそれぞれ、富を受け継ぐとか二人の新生活の幸せだとかいろいろ意味が込められてるんだってと同僚は言う。詳しいのねえともう一人が感心するとその同僚は、だってサムシング・バロウは私が用意させられたんだものと苦笑した。「完璧な式にするんだか何だかしらないけど、私から借りてくものにさえいろいろ注文付けるから大変だったのよ」
 ようやっと教会まで着いて、同僚二人は中に並んだ席へと腰を下ろした。新郎新婦の入場までにはまだ時間がある。あたしは入り口で立ったまま、新婦が来るのを待つことにした。
 サムシング・バロウか。あたしの口の端が、思わず鋭くつり上がる。大騒ぎしてそんなものをわざわざ用意せずとも、新婦はすでに持っているではないか。
 何か一つ借りたものを────元々は人のものを────あたしの、恋人だった男を。
 同僚たちが交わす会話の中に、その時自分の名が上ったのを耳にした。
「・・・・・・さんはやっぱり、今日の式には来なかったのね」
「そりゃそうでしょう。だいたい、この式に彼女を招待するのだって、あんまりだと思わない?」
「彼女、最近は仕事もずいぶんと休んでるんですってね。ここ数日は連絡もとれないって話を聞いたけど、大丈夫なのかしら?」
 二人の会話をかき消すように、教会の中にパイプオルガンの音が鳴り響いた。振り返ると、林の中の道を新郎と新婦が並んで歩いてくるところだった。
 新郎の顔を見る勇気はなかった。新婦は輝くような笑顔を浮かべている。しかし新婦の姿のどこを見ても、青いものを身につけている様子はなかった。
「サムシング・ブルーはどれ?」あたしの疑問をそのまま口にしたかのように、一人の同僚が言うのが聞こえた。
「ああ、サムシング・ブルーってね、目につかないところに身につけるのがいいとされてるんだって」
 それならおあつらえむきだ。あたしの姿はもう、他の誰にも見えることはないのだから。
 あたしは幸せな、幸せな二人に向かって歩を進める。参列客も式場の人間も、そして新郎新婦でさえも、あたしに目を向けることはなかった。
 青黒く変色して膨れあがった手を、新婦の首へと向けながら、あたしは薄く笑う。 同僚達には、もしかしたら見えるかもしれない。新婦に取り憑く、青ざめた姿のあたしが。

 何か青いものサムシング・ブルー が。

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