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第五夜

 こんな夢を見た。
 自分は青銅の森に暮らす笛吹きだった。笛を吹いては木々の葉を鳴らすのが自分の務めだった。青銅の葉は鳥が止まっても、風が吹いても揺れない。自分が笛を鳴らしたときだけ、その音色に合わせるようにして葉が揺れ動き、青銅の音を奏でた。他にはすることもないので毎日笛ばかり吹いていた。
 ある日、男が森を抜けてやってきた。
 お前の吹く笛のような音はこれまでに聴いたことがない。お前はきっとゼロに違いないと男は言った。ゼロが何なのかも知らなかったし、自分がそうだとも思わなかったが、男が喜ぶならそれでもよいだろうと思った。こんな風に自分の笛を聴く相手は初めてだった。青銅の木が奏でる音も好きだったが、どのように笛を吹いてもいつもその音は変わらなかった。男は悲しい音には悲しい顔を、明るい音には明るい顔をして笛を聴いた。自分が笛を吹いたときに男が浮かべる顔をもっと見たいと思った。
 妹にもぜひその笛を聴かせてやりたい。ゼロの笛をずっと聴きたがっていたからと男が言った。
 男に連れられて森の奥へ分け入った。笛を抱えて踏み込むたびに、青銅の葉がろんろんと鳴り響いた。森の奥へ進むにつれ、木々はますます大きくそびえたち、葉の音は深く鳴った。
 ふいにひらけた目の前に、大きな建物が建っていた。廃墟だ。一目見て訳も無くそう思った。蝸牛の殻のような形をして、黒い煤で一面に覆われている。工場というところだったのだと男が説明した。
 建物の中はやっぱり真っ黒で、そしてがらんどうだった。中心に地下へと繋がる螺旋階段がただ一つあるきりだった。天井は破れ、そこから空が丸くのぞいていた。男に言われるままに階段を下った。底に着いてから見上げると、先ほどの空が爪の先くらいになっていた。
 階段が終わったその先に、天井の低い小さな小部屋があった。ランプが二つ据えられて、黄色い光を投げかけている。部屋の中央で二人の少女が長椅子に腰掛けていた。冷たい頬っぺたと冷たい眼をしていた。手を握り合っていたがしたくてそうしているのではないように見える。何故だか青銅の木を思い出した。そして壁には一面に少女の絵姿が描かれていた。どの絵でも少女は二人一緒にいて、そしてやっぱり冷たい顔をしていた。少女なのに青銅の木にそっくりだった。
 妹たちだよと男が言った。「お前たちが聴きたがっていたゼロの笛だよ」
 二人の前で笛を吹いたが、笛はなんだかすうすういうばかりでちっとも音が出てこなかった。
「お前も違う、やっぱり違ったんだ」
 男はそういうと、膝を抱え込んで泣き出した。男が泣いている傍で、二人の少女はやっぱり冷たい眼で床を見つめ、じっと座っているだけだった。この子達は悪人形なんだよと男に言ってあげたかったが出来なかった。
 男の泣き声だけが小さな部屋の中に響いている。ふと、彼は今までどれだけの笛吹きを、ここへ連れて来たのだろうかと思った。

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