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第十夜

 知らぬうちに家に恋文が届けられていた。
 洒落た紙を使うでもなく花を添えるでもなく、ただ無造作にぽんと三和土に置かれていたその真っ白い紙は、読むまではそうと知れなかった。宛名もなしに唐突に書き出されていたが、文の最後に幼馴染の娘の名が記されていたので自分に宛てられたものであるのがわかった。
 少し前に娘は越しており、今は隣村に住んでいた。七日の間だけ嫁ぐと言い残してふいに去ったという話を聞いたのは昨日のことだった。娘はいまだに字を知らなかった。記された流暢な字には見覚えがある。自分の友のものだ。

 日の出には共に山を眺め、日の入りには共に雁を眺め、夏には暑さを冬には寒さを、共に感じてお前と暮らしてゆきたい。

 手紙の結びをくりかえすと、娘の顔と友の声とがちらちらした。
 友の家へ問い質しに行くと、腹を下して厠にこもりきりだという。厠の扉越しに委細を聞いた。文の代筆を頼みに真っ赤な目をしてやってきた娘は、もう日がないからと血を吐くように言っていたという。戦にゆくことも村を発つことも誰にも言わなかったはずなのに、どうやってあの娘はそれを知ったのだろう。その日は七日後と決めていた。
 十四でも娘は娘だから、と友は小さく笑い、弱弱しい声で剣の腕は立つが料理のほうはからっきしだと呟いていた。代筆の礼にと差し入れられた食事にあたったらしい。
 蝉の声の中を、懐に手紙を入れて帰った。
 帰ると娘が縁側にちんまりと座って待っていた。しばらく見ない間に長く伸びた髪を後ろにまとめて一つに結い、しゃんと背をそらして座るその姿は青毛の子馬のようだった。手紙を返すと黙って受け取った。お前の手ではないことはすぐに判ったよと笑って言うと、書いたのが私でなくとも本当にこれが自分の心なのだと娘はむきになったように言い、共にゆかせてはくれないのだろうとかすかなかすかな声で呟いた。その言葉が聞こえていることも、その答えも互いに知っていた。
 久しぶりに剣を合わせてくれないかと娘が言った。陽射しはぎらぎらとして、蝉の声がいっそうその勢いを増してきている。庭の隅では朝顔がくたりとしおれていたが、誰かが水でも打ったのか土の上には冷たい空気が心地よくひやりと立ち上っていた。竹刀を取って庭に出た。
 娘はぴたりと正眼に構え、静かな目でひたとこちらを見据えている。いざ、と掛けられたその声も普段と変わりなく落ち着いていたが、竹刀の先が小刻みに震えていることに自分は気がついていた。
 ぐらぐらと刀は揺れ、それを振り切るように娘はしゃにむに打ち込んできた。結った髪が左右に打ち振られ、本当に子馬だ。
「帰るまでには自分で文を書けるようになっておく」
 激しく刀を合わせる最中にも、その言葉ははっきりと耳に届いた。

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