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あるペットの死

 リビングに入ってきた息子の目は、今朝も真っ赤に腫れあがっている。まだ幼い息子の痛々しい姿に、私の胸もきりきりと痛んだ。
 シャルが死んでから今日でもう三日目になるが、息子はいまだにひどく悲しんでいる。だがこればかりは、自分の中で折り合いをつけてゆくしかないことを私は知っている。私自身も、これまでの人生でもう何度も、息子と同じ悲しみを味わってきたからだ。
 繰り返せば慣れるという種類のものではない。それでも幾度ものペットの死を通して私は学んだ。胸をえぐる痛みも、息もできないような苦しさも、時とともに次第に乗り越えてゆけるものだということを。
「パパ」
 泣きすぎてかすれた声で、息子が私を呼んだ。目にはまた涙がたまっている。
「ねえパパ、シャルは幸せだったかなあ」
 二日間思う存分泣いて、息子はやっと、シャルの死を言葉に出来るようになった。心の傷も、体のそれと同じ過程を経て癒えてゆく。流れる血はやがて止まり、いつかはその傷跡も消える。まだ時がかかるだろうが、息子もその悲しみを乗り越えてゆけるだろう。
 私は息子を抱きあげて頭をなでた。どこで拾ってきたのか、ある日胸にシャルを抱きしめて、飼いたいとせがんだのは息子だった。
 ────野良が捕まると、すぐに処分施設に連れていかれちゃうんだよ。パパお願い、可哀想だよ。
 自分が面倒を見るからと息子は粘り通し、親の欲目かもしれないが、実際に彼はきちんと世話をしていたと思う。シャルは可愛いペットだったし、息子によく懐いていた。
 シャルは幸せだっただろうか。生き物を飼い、そして死に別れるたびに、私もいつも同じことを考える。彼らは飼われていて幸せだっただろうかと。
「そうだな、確かにシャルの寿命には少しばかり早かったかもしれないけど、少なくとも野良のままで死ぬよりは、ずっと良い暮らしだったんじゃないかとパパは思うよ」
 正確な年齢はわからなかったが、確かにシャルはまだそれほどの老齢ではなかった。だが数ヶ月前から急に足腰が弱り、寝ついてからあっという間に逝ってしまった。
 息子がしゃくりあげながら言った。
「ぼくね、アルファネットで前に見たことがあるの。宇宙ステーション牧場をね、シャルたちが住んでた星みたいにして、仲間と一緒にたくさん飼ってるところがあるんだ」
 もし、もしもね。シャルも、そんなところで仲間と暮らしてたら、もっと幸せで、もっと長生きしたかなあ。きれぎれにそう言うと、息子は私の肩にわっと泣き伏した。
 彼らはもともと群れで暮らす生き物だ。家族同然に暮らしていたとはいえ、私や妻が仕事に出かけ、息子も学校に行っている昼間、シャルは家でひとりぼっちで過ごしている。そのことを、息子はいつも気に病んでいた。
「それは誰にもわからないんだよ。そうかもしれないし、そうでないかもしれない」
 そんなことはない、シャルはお前と一緒で幸せだったと、そう言ってやることもできた。だが私は正直に答えた。この種の質問に対しては、そうであらねばならなかった。
「命にもしもはないし、パパたちは自分にできることをするしかないんだ」
 息子の目をまっすぐに見て、私はそう語りかけた。「パパもママもお前も、シャルがこの家で幸せに暮らせるように一生懸命世話をしただろう?一番大事なのはそのことなんだよ。ペットは生きている間に、できる限り愛してあげるんだ」
 涙をこぼしながら、息子は何度もうなずいた。
 自由に、自然のままに生き物が暮らしてゆけたら、それが一番幸せなことなのだろうと私も思う。だがシャルたちにはそれは不可能だ。シャルたちが────かつてはヒトと呼ばれていた彼らが────自然のままに暮らせる場所は、今はもうどこにも存在しないのだから。
 今より数世代も前、私たちが太陽系第三惑星を発見したとき、そこはすでにもう、ほとんど生き物が住める環境ではなかった。その原因が、ヒトという生き物そのものの生態の結果によるというのも皮肉な話だったが。
 現在彼らが生存出来るのは、宇宙ステーション牧場など種の保存施設でか、家庭ペットとしてだ。それ以外には星間移送の際に逃げ出し、この星で野生化したものしかいない。ステーションでは多くの仲間と共に暮らせるかもしれないが、個数を一定に保つためその暮らしは厳密に管理される。ペットになるには生殖制限など様々な処置を受けねばならない。野生個体は確かに自由かもしれないが、その寿命は飼育下での半分以下で、捕獲されたら大抵処分される。どの暮らしが彼らにとって幸せなのか、それは誰にもわからないだろう。
 少なくとも我が家の家族は、シャルが一緒にいてくれて幸せだったけれども。
 触手の一本で息子の頭をまた優しくなでながら、私は愛しいペットの死を心から悼んだ。

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