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薔薇のしずく

 不思議な鼻歌がどこからか聞こえてくる。はずむようなテンポなのに、それを聴くと胸の中のどこかがきゅうっとひっぱられるような、そんな気分になるメロディだった。公園の中でその歌を耳にした浩一は、どこから聞こえてくるのだろうとあたりを見回した。
 浩一の通う保育園の途中にあるこの公園の林の中には、いくつもの小道があった。休日になると、雑貨を売る人や絵を描く人などが、そのあちこちにいるのだった。
 いつもは一人だけで公園の奥に行ってはいけないと言われている。しかし何故か、今自分のそばには誰もいない。浩一はその歌を追って、道の奥へと入っていった。
 鼻歌を歌っていたのは、道に置かれたベンチの横の地面にぺたりと座り込んでいる女の人だった。女の人の前に敷かれた布の上には、かごに入った色とりどりの小石が並べられている。女の人は時折その石を手に取ると、それを使って何かを作っているらしかった。
 浩一はおずおずとその人の前に立った。不思議なメロディを、ずっと繰り返して歌っていた女の人は、手を止めないまま顔を上げて浩一を見た。
「こんちは、いらっしゃい。お好きなパワーストーンで、ストラップ作るよ」
 客ではない、ただ歌に惹かれて来てしまっただけなのだ。そうとは言えず口ごもる浩一の様子を気にもせず、女の人は快活に笑った。
「パワーストーン見るの初めて?どれでもいいよ、好きな石えらんで」
 その言葉に自分の指がすっと動いて、ためらうことなく中の一つの石を示すのを、浩一はどこかぼんやりとした気持ちで見ていた。
 それはピンク色をした小さな石だった。その石の色がランドセルのことを思い出させて、ふいに浩一は泣きたいような気分になる。
 今年小学校に上がる浩一が、両親と三つ年上の姉と一緒にランドセルを買いに行ったのは、つい先日のことだった。
 赤や黒、青に緑。オレンジに水色のランドセル。数多く並べられたその中で、浩一が何の気なしに手に取ったのは、ピンク色のランドセルだった。途端に姉はおかしいと言って声を上げて笑い、両親も笑いながら、男の子は黒や青とか、緑の方がいいのじゃないかと言った。
 黒も青も好きだ。緑色のランドセルだって悪くない。ただ浩一はピンクも好きだった。ピンクが好きなそんな自分を、ランドセルと一緒に笑われたように浩一は思った。
 これだね、と石を手に取ったその女の人は、しかし浩一が心配したようなことは何も言わなかった。
 もっとカッコいい色の石にしたら、とか、男の子がピンクだなんておかしいよ、とかを。
 女の人は慣れた手つきで、石のまわりに凝った飾りを編み上げていく。ストラップはあっという間に出来上がり、真ん中に石が編みこまれたそれを、はい出来たよと言って女の人が渡してくれた。手の上の石を、浩一はじっと見つめた。
「これ、なんていう石なの」
「ローズクォーツっていうの。薔薇のしずくみたいでしょ。この石はね」
 女の人がとんとん、と胸の上を叩いた。
「この中が痛いときに、治してくれるんだよ」
 その言葉を聞いた瞬間、ふいに浩一の口からぽろりと言葉がこぼれた。「ぼくが、ピンクをすきなのって、おかしいのかな」
「薔薇のしずくに、子猫のおひげ。ぴかぴかヤカンに、あったかミトン。紐で結んだ小包。みんなわたしの好きなもの」
 唐突に女の人が歌う。浩一はその歌のメロディが、さっき彼女が歌っていた鼻歌と同じなのだと気がついた。女の人はもう一度、その歌を最初から歌いだした。
「薔薇のしずくに、子猫のおひげ。ぴかぴかヤカンに、あったかミトン」 女の人はそこでまっすぐに浩一を見て、ぱちりと片目をつぶってみせた。
「ピンク色したランドセル。みんなあなたの好きなもの」
 驚きとともに、なんだかあたたかいような気分になって、浩一はまた最初から繰り返して歌う女の人と一緒に、歌を口ずさんでみた。

 ピンク色の小石もピンク色のランドセルも、みんなぼくの好きなもの!

 女の人が立ち上がると、浩一の手をとってくるくると踊りだした。どこからかピアノの音が鳴り出した。明るく響くピアノと歌声に、胸の痛みが溶けていくのが浩一にはわかった。うっとりするような声で、女の人が歌う。

「痛くて、辛くて、かなしいときは、思い出して好きなものを、そしたらね」

 ────元気になるよ。

 女の人の声が耳元で聞こえたとき、浩一はぱっと目を覚ました。普段と変わらない自分の部屋の、自分のベッド。机の上には、両親が買ってくれた青いランドセルが乗っている。ふと、浩一は手のひらに何かを感じた。
 開いた手の中にひとつ、あの小さなピンク色の石があった。

作中歌 : 『The Sound of Music』 My Favorite Things


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