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哲学対話とは?

哲学対話をやっていて時折、「哲学対話っていうのは結局なんだろう?」という問いが浮かぶことがあります。

参加する人によって、哲学対話に求めるものや哲学対話のイメージが違うというはやっていて感じる部分があって、それこそ『哲学対話ってなんだろ?』というお題を出せばそれこそ人によって違う回答が返ってきそうです。

そういう哲学対話を一言であらわすなら、自分であれば「自由に考えるためのゲーム」というふうにあらわします。

では「自由に考えるとはどういうことなんだろう?」という別の問いが浮かんできます。

普段の自分たちは自由に考えてないのでしょうか?

いや、自分は自由に考えていると言う人もいるかもしれません。

ただ人は自分の置かれた状態から考えることが多くて、そこから離れたところで考えているかというとそうではないと思います。

例えば、自分の将来について考えるとします。

その時、自分の年齢などを考慮して、将来についていろいろ考えるわけです。

そこで考えていることには、明らかに制約があって自由はないと言えます。

さらにここで別の問いが生まれます。

それは、「自由に考えれる問題とそうでない問題があるのでは?」という問いです。

先程、例に出した自分の将来についてを自由に考える意味があるのかと思うのです。

自由に考えたところで、自分の現実というのは存在しているし、その現実をベースに考えなければ結局、意味のない思考になる気がします。

このままいくと、最初の問い「哲学対話ってなんだろ?」からどんどん離れるのでこれくらいにしますが、考えれば考えるほど、哲学対話がなんなのかわからなくなります。

ただ、どの哲学対話も「自由に考える」ことを重視している思っている。


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