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小説≪⑩・明日は海の日。なっちゃんと出会った日・⑩≫

   婚約指輪に関する知識のないぼくは、すぐに友人を頼った。スマホであれこれ調べたけれど、いまいちよく分からなかった。
≪手頃なものならティファニーかカルティエか・・。それとも4℃かな≫
  どれもが何となくしか知らないブランドだった。
≪ふうん。値段はいくらぐらい?≫
≪うーん。ピンきりだけど、安くて25万くらいだっけな≫
   奥さんと付き合っているときに、誕生日プレゼントに贈った指輪がそれくらいしたんだと彼は続けた。
 ≪まあ、値段じゃなくて気持ちだし≫
  気持ちって言ったって、 ぼくの月給がきれいに飛んでいく。そう、婚約指輪なんてなくったってプロポーズできる。現にあのとき、ぼくは婚約指輪なしでプロポーズした。
≪サイズは聞いた?指輪のサイズ≫
≪ううん。知らない。そっか、そうだよね。どうやって調べたらいいのかな≫
  そうだ。サイズが分からないと買えないじゃないか。ぼくはばかだな。
≪ショップに行けばリングケージがあるし、紙やメジャーで測る手はあるよ。今は指輪のサイズを測るアプリがあるらしいし≫
≪どれもできないよ≫
≪喜ぶ顔が見たい?≫
≪うん≫
≪ははっ。サプライズが好きな女性って多いからな≫
  彼は、ううんとうなった。
≪うーん、ちょっと待っていて≫
  スマホを置いた音と歩いている音が聞こえた。しばらくして、お待たせと声がした。
≪奥さんに聞いたら、彼女くらい小柄で指が細い子って5号とか6らしい。もしかして7かなって。大きくてもサイズ直しができるらしいから大丈夫だって≫
  彼は婚約指輪や結婚指輪を買ったときの話しをし、それから新婚旅行の話へと話題が変わっていった。
≪ちなみにどこのブランドのを買ったの?≫
  いつものように脱線したことに、ふうとため息をついた。質問すると彼はうれしそうに答えた。
≪ハリー・ウィンストンだよ。高かったなあ。軽自動車が買えるくらいの値段かな。そのころ別れるだの別れないだののケンカしてたから、ご機機嫌取るために奮発したんだ。生まれて初めてローンを組んだよ。ローンって言えば、うちのマンションのローンって・・≫

   ブランドを決めた。ジュエリーショップに行った。金額を横目で見ながら、これかなあれかな。ももちゃんにはどんな指輪が似合うかな喜んでくれるかなと、彼女の顔を脳裏に浮かべながら指輪を選んだ。オリジナルもできますよと勧められたのでその値段を聞くとそれなりの値段で、即座に既製品に決めた。残りはサイズ。5号か6号か7号か。一番細いサイズの5号かな。手を握っただけではもちろんサイズなんて分からない。サイズ直しができるって彼は言ってたから、とりあえず7号にしよう。小さいよりは大きいのがいいかな。勘が当たりますようにと、ぼくは念を込めながらショップの店員さんにサイズを伝えた。

「うれしい。ありがとう。本当にうれしい」
   ひざまずいたぼくはももちゃんの左手を軽く握った。ケースから出した婚約指輪をその薬指にはめた。細い指に指輪はぶかぶかだった。
「ご、ごめん」
   いくらなんでもひどすぎる。少し小さいとか、大きいならまだしもこんなに大きさが違うなんて。
「一緒にサイズ直しに行きましょ」
  愛情がないからこんなに小さいのを選んだんだと言われても仕方ないけれど、ももちゃんは何も不満を言わなかった。ありがと、とにっこりほほえんでそう言ってくれた。瞳に涙が浮かべて。

「あのね、お母さんが」
  何日後かにももちゃんから電話がかかってきた。その声は冒頭からとても申し訳なさそうだった。
「指輪のことなんだけど」
「うん?指輪?婚約指輪?」
「あの・・。お母さんがもう少しカラット数の多い指輪がいいって言うの」
「え?カラット?」
  何を言っているのか分からなかった。カラット?いや、カラットは分かるけど。
「うん。それに」
  ももちゃん、 ブランドを変えたら?これからいろんな人に会うたびにみんながそれを見るのよ。きちんとした指輪じゃないとお母さん恥ずかしいわ、って言うの。ーぼくが一生懸命選んだ指輪はきちんとしてないのかよ。ぼくは唇をかんだ。ももちゃんだってひどいよ。あおいさんが選んでくれた指輪なんだから、余計なことを言わないでって以前のように言い返せばいいのに。
「指輪のサイズを直すときにお母さんが付いて行きたいって言っていて」
「サイズじゃなくて、ブランドを変えるんだろ?」
「うん。そう・・。ごめんなさい」
  その声には涙がまじっていた。でもぼくは慰めなかった。 いい加減に親離れしろよ、今まで何回も同じことをしてきただろ。のど元まで上ってきた言葉をむりやり飲み込んだ。予定が立ったら電話するよ、ぼくの声はかなり冷たかったと思う。そう言い捨てたぼくは、ももちゃんからの返事を聞かずに電話を切った。

   なっちゃんへ電話をかけてもコールバックがない。なっちゃんからもかかってこない。スマホの履歴を見た。なっちゃんと久しぶりに話したのは何ヵ月も前。うんとうんと前。なっちゃんはぼくのことをもう何とも思ってないのだろうか?求め合いあんなに愛しあったのに、お互いの体をあんなにむさぼりあったのに。

   ぼくの体そして心もはまだ、なっちゃんを覚えてる。


❇️読んでいただいてありがとうございます。勢いって大切ですね。みなさん、好きな人ができたら勢いで告白しましょう。ぐずぐずしていて、誰かに取られたら泣くに泣けません。1日前にはまったくできていなかった⑩をこうして世に出すことができました。あと3話か4話でゴールの予定です。いろんなたくさんのことを勢いで乗り切り、≪アングラ芸人≫に着手します。