小説≪⑬・明日は海の日。なっちゃんと出会った日・⑬≫
コールは5回と決めている。10回も20回も鳴らすのはストーカーのすることだ。ぼくはストーカーじゃない。いち、に、さん、よん、ご、ーーぼくは電話を切らなかった。ろくうう、ななあ、はちいい。まあ、いつものことか。耳元からスマホを離したとき、あおいくん?とぼくを呼ぶ声がした。
なっちゃんの声はあの頃のように耳に柔らかかった。柔らかな声。柔らかいなっちゃん。柔らかいなっちゃんのからだ。
「なにかあったの?」
こんばんはのあとに少し間があったのは、何かを悟ったからだろう。今までどうして電話に出てくれなかったんだよとか、いくらでもコールバッグできただろとか、ぼくの電話をさんざん無視してただろうとか、心のなかにたまっていた、なっちゃんをののしる言葉はその一言ですっかり消えてしまった。
「な、なんにもない。なっちゃんの声が聞きたかっただけ」
ナッチャンノコエガキキタカッタダケ。
「あおいくん、もしかして泣いてる?」
この番号をなっちゃんが使い続けていること(なぜならば、あまりにも電話がつながらないので、番号を変えてしまったのかもという不安にかられていた)そしてその声を聞くことができたことにほっとした。
「泣いて、ない」
電話越しでよかったと思った。現にぼくの瞳には涙がたまっていた。コップにたまった水が表面張力で膨らみ、いまにもあふれるーいや、あふれていた。頬を拭いながら口を開いた。
「ちぎゃう」
かんでしまったこと、 思ったよりもうんと高い声が出てしまっことにびっくりした。
「ごめんなさい」
ぼくは慌てて謝った。こんなことでなっちゃんが電話を切ったら困る。そしてまた電話に出てくれなくなったら困る。
「あおいくんって、そんな泣き虫さんだったかしら?」
幼い子供に尋ねるようになっちゃんは優しげに言った。
「そんな、なっ、泣き虫だよ」
1度出た涙は止まらなくなってしまった。スマホを床に置き腕で涙を拭った。ひっくひっくと痙攣は止まらなくて、なっちゃんと話をしたいのに話せなかった。横隔膜が動くのを感じながら、この辛い気持ちをどうしたらなっちゃんに伝えることができるだろうかと考えた。
「あおいくん」
慌ててスマホを手にした。
「なに・・」
「辛いのならなにが辛いのかきちんと言って。でないと、わたし、あおいくんをなんて慰めたらいいのか分からない」
その言葉をきつい言い方だと思う人がいるかもしれない。もう少し優しく言えばいいのにと。だけれどそれをぼくはなっちゃんらしいと嬉しくなった。なっちゃんは言う必要のあることはきちんと言う人。オブラートに包むとか、ごまかすとかそんなめんどくさいことなんかしない人なのだから。決してぼくがMというわけではなく。いや、ぼくはMにちがいない。なっちゃんの前では。あのときの、初めてあのときだって、なっちゃんからストレートに誘ってきて・・。
「 彼女のお母さんと仲良くなりたいのに好かれないから辛いってこと?」
「ちがう。どうして嫌われてるのか分からないから辛いんだ」
「嫌われてるのが嫌ってこと?」
「嫌ってことじゃなくて」
「だったらどうだっていいじゃないの。あおいくん、親御さんと仲がよかったかしら?」
「仲良くないよ。それに好きでも嫌いでもない」
「だったら同じでいいんじゃない」
そういえばと思った。なっちゃんを探して、彼女がかつて住んでいたアパートに行ったときのこと。そこにいた彼女の友人は、なっちゃんは親御さんと仲が良くないと言ってたっけ。ももちゃんたちみたいに、あんな風にベタベタしてるくらいなら、なっちゃんのようにお互いに距離を置いている親子のほうがうんといい。
「ありがと」
ぼくの言葉になっちゃんは、ありがとと言った。
「なっちゃんってば。なに、へんなの」
「あおいくんのほうが変よ」
ぼくはくすくす笑った。なんか馬鹿みたいだ。ももちゃんの親のことなんてどうでもいい。嫌われていようがどうだっていいじゃんか。
それからぼくらは、ボールを投げたり投げ返さなかったり、瞬時に投げ返したりというコンスタントではない会話のラリーをした。時に無言もまじえて。
なっちゃんはそんなふうに無言でも平気でいられる相手。無理して話をしようとか、何をしたら喜んでくれるのだろうとか考えなくていい。ぼくらはどうして別れちゃったんだっけ・・。こんなに気が合うのに。ああ、そうだ。ぼくは振られたんだ。プロポーズの返事をもらえなくて、なっちゃんがぼくのアパートを突然出ていったんだっけな・・。
「なっちゃん、また電話をしてもいい?」
「出ないかもよ」
「いやだよ。出てくれるまで鳴らすよ」
「怖いこと言わないでよ」
ーストーカーみたい、というなっちゃんの声が聞こえた気がした。
「まさか、冗談だよ」
すぐに、はははと笑ってごまかしたけど、ごまかしきれてないと思う。
「なっちゃん。電話していいでしょう?」
沈黙に彼女の意思を感じたけど、ぼくは続けた。
「なっちゃん、会いたいよ」
彼女は何も言わなかった。ふうう、これ以上深追いしないほうがいい。
「もう遅いわ」
ぼくは壁掛け時計を見あげた。
「遅くまでごめんなさい」
「ううん。大丈夫」
「なっちゃんと話ができて嬉しかった。ほんとにありがとう」
「あたしもあおいくんと話せて楽しかった」
「うん。おやすみなさい」
「おやすみなさい、あおいくん」
本当はもっともっと話をしたかったし、なっちゃんもぼくと話をしたいように思えたけど(うぬぼれに決まってる)、ぼくは我慢をした。
なっちゃんのふうっという吐息の後、電話はぷつっと切れた。ぼくは黒い画面を見た、見続けた。久しぶりに話をした昔の彼氏が泣きながら愚痴を言うなんて、うざい以外の何者でもない。なっちゃんはもう電話に出てくれないかもしれないな。そうなったら自業自得だな・・。
❇️読んでいただいてありがとうございます。なっちゃん再登場です。電話ですが。やっぱりなっちゃんのことが好き。あおいやもも以上に。書いていて楽。書き手と性格似てるせいかな。ストレートにものを言うとことか、
気が強いとことか。あおいがなっちゃんと以前会ったときと比べて、かなり変わった状況を、どうやって2人に反映させようか考えるのがものすごく楽しい。