「空気を売る」
「路地には人々の息遣いを感じる。」
自然光が柔らかく差し込んでいて、狭く押しつぶされそうに家屋がひしめき合う。地面にはいつ植えたかわからない、小学校でもらったであろう朝顔の
栽培キット。昔はそこに住む人々の注目を集めていただろう古びた看板。
路地にはその場所に住む人の当たり前がただただそこにあって、偶発的にできたその空間には人々の息遣いを感じる。いつも歩いていると、ふっと路地に呼ばれる感覚がある。
整備された道路や街も美し良いが、人の意図を超えた偶発的な「空気感」をとても美しいと思う。
大学3回生頃、就職活動をきっかけに色々人生について考える事があった。当時の私は、正解探しをすることに必死で、何が自分にとって合っている(正解)道は何なのかがなかなか見つけられなかった。
苦しくなるまで精一杯考えたのだから、もう自分の感覚を信じてあげよう。どれを選んだって正解だ。と思い今の会社の入った。
その就職活動期間に考えいた実現したいと言っていた事を、先日、思い出すタイミングが合ったのでここに書いてみようと思う。
「空気を売る」ということについて。
先に断っておくが、「空気を売る」とは、酸素やAirを販売するという訳ではない。今思えば、空間デザインやコミュニケーションデザインみたいな言葉で言い表すのが近い気がする。
色々な場の「空気感」をパッケージにできて販売する事ができれば、幸せになる人が増えると当時は真剣に考えていた。
例えば、「家族」。
この単語を思い浮かべてあなたは何をイメージするだろうか。
どんな場所?そこは屋内?屋外?色はある?匂いは?音は?
きっと、人それぞれ違うし、嫌な感情、嬉しい感情いろいろだと思う。
家族感という空気を要素分解すると家具や音(家の近くを走る電車の音とか)、匂い(古いマンションで少しかび臭いとか)などの五感で感じる要素に分けることができる。
家族感という空間を作ることができれば、寂しさを感じている人たちが幸せになるのではないかと考えていた。
それが「空気を売る」ということ。
だから、デザイン事務所~人材まで空気感に関係ありそうな会社を受けたりしたが、自分でも何をやりたいのかもわからず、落ちまくった。
また、空気を売りたいと面接で話すたびに、疑問を持つ様になった。
空間をデザインすることによって、ある程度幸せな空間は作れると思う。
ただ、それで作られた空間は素敵かもしれないが、どこか味気なく、誰かの意図を感じ操作されている感覚になる。
空間をデザインしても、空気はデザインできない。
じゃどうすれば良いのか。
意図を超えてくる人と人の息遣いである。
空間に人々の営みが偶発的にあるからこそ、その当事者になるからこそ、空気を感じることができる。
そんな感覚的な事をどうデザインすればいいかもわからないし、まずどのように言葉で表現したら良いかわからない。
もう分けわからない!と思い、忘れることにしてしまった。
そんなこんなで、4年がたった先日。
頭の片隅にある「忘れ形見」(勝手にそう読んでいる)という、やりたかったこと、気になったままにしていた事が何かを振り返るタイミングがあった。真っ先に思い出したのは「空気を売る」事を真剣に考えていたこと就職活動期間のことだった。
未だに空気を売るとはどういう事かと聞かれると、答えることはできない。
すごく感覚的なまま。
でも自分の中心からブルブルと湧き上がるこの感覚は大切にしようと思う。
形にできなくても、人に説明できなくても、感じちゃうのだから仕方がない。
冒頭の路地も然り、人と場が織りなす「空気」に未だに感動することあるなと再確認した。
いつか、みんなの役に立つ空気を売ることができたら良いなー。
おわり