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俳句とエッセーと諫早風景㉛『 海山村Ⅱ - 筆談の手帳 - 忘れないということ 』 津 田 緋 沙 子

   筆 談 の 手 帳 


ア  カ  シ  ア  の  花  を  見  て  ゐ  る  治  療  室
筆  談  の  手  帳  ゆ  き  交  ふ  新  樹  光
磨  崖  仏  ひ  と  日  め  ぐ  り  て  浮  葉  飯
え  ぷ  ろ  ん  の  手  帳  の  出  番  夏  休  み
朝  市  や  七  本  足  の  蟹  も  を  り
帰  郷  ま  ず  蟹  の  黒  漬  に  て  一  杯
蟹  提  げ  て  来  た  り  し  人  の  忌  や  五  年
 
 

  忘 れ な い と い う こ と


 いつもと変わらぬ美しい春が来ているのに心の晴れる日がない。
日常生活のささやかな喜びや驚きを筆にする気にはとうていなれ
ない。原爆の語り部だった故小崎登明さんの 「人間がこんな死に
方をしてはならない」という言葉が頭の中で渦巻いている。
 ある報道番組でのウクライナからのライブ中継、爆音の響く中
で一人の記者がこう語るのを聞いた。 「ウクライナの人々は一致
団結しているのです。自分にできることで国を守ろうとしている
のです」
 大統領は姿を隠さず先頭に立って情報や意志を伝える。国営放
送は二十四時間一刻も休まず放送を続けている。爆撃を受けた時
は地下シ ェルターから発信した。だから国民はいつも大統領の顔
を見、その顔色さえ知ることが出来る。恐怖と苦痛の中、人々も
自分が日本人だと知ると「今ウクライナで起きていることを伝え
てください」と頼むのだ、と。
 中継がスタジオに切り替わった時コメンテーターのお一人が淡
々と解説された言葉。 「問題は、 この戦争が長期化して世界の人
々の関心が薄れ、だんだん忘れられていった時ですよね」そんな
ことはないと強く強く否定しながらも虚をつかれた思いがした。
忘れないことー地震、津波、豪雨…、幾多の災害の続く自分の国
のことに対してすら私はどうであったか。 (了)

2025年元旦、雲仙から昇った初日の出。どうか戦争が終わり、世界が平穏になりますように。


諌早市飯盛町の結の浜マリンパーク。こちらは冬に佇まい。夏の賑わいが嘘のように静かに波だけが寄せては引く。


遠くに雲仙の山塊。潟海の有明海とも、内海の琴の湖と形容される大村湾とも違う荒々しさが橘湾にはある。波打ち際で子どもが三人、上半身を裸して遊んでいた。こどもは遊びの天才だ。


鳶が頭上を音もなく旋回していた。この鳶、油断ならない。いつか子どもが食べていたパンをとられたことがあった。それでもその姿を見ると、ほっと心が休まる。

下記に、これまで公開した津田緋沙子さんの俳句とエッセーをまとめましたので、ご一読いただければと思います。

諫早出身の日本浪漫派の詩人・伊東静雄の青春の苦悩を綴りました。ご一読いただければと思います。

  よろしければ、諫早湾を舞台にした小説をお読みください。 


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