俳句とエッセー⑪『 海 山 村 Ⅱ - 白菜と赤子 』 津田緋沙子
平 成 三 十 一 年 ・ 令 和 元 年
白 菜 と 赤 子
星 月 夜 豚 売 ら れ ゆ く 高 速 道
磁 石 も て 針 さ が し を り 冬 日 向
白 菜 売 り 赤 子 と 重 さ 競 ひ を り
畔 話 白 菜 ひ と つ 手 渡 さ れ
悼 み 来 て 空 見 上 ぐ れ ば 枇 杷 の 花
ケ セ ラ セ ラ と ロ ず さ む 日 や 枇 杷 の 花
病 む 父 に 子 は 摘 み 来 し よ 寒 苺
コ ッ コ デ シ ョ
秋の長崎くんち、今年は椛島町のコ ツコデショも奉納された。
長崎港に近い椛島町は江戸時代宿屋が建ち並び江戸や大坂との交
易で賑わった。その中で大阪堺の船頭衆によって伝えられた堺の
「ふとん太鼓」がコ ツコデショの起源だという。
七年ごとの踊り町の順番。 コ ツコデショの前回の奉納は二〇一
一年東日本大震災の年であった。椛島町は今回特別な思いで太鼓
山を新調したという。七年過ぎた今も福島に変わらぬエールを送
りたいと福島県川内村の百年もののヒノキを譲り受けて。
四十人の男たちによって担がれた重さートンもの太鼓山はトバ
セ (走れ) マワレ (鳴門の渦だ) コ ツコデショ (宝の荷物はここ
だよ)と勇壮に天空舞を披露した。喝采の中、福島を思い浮かべ
た人も沢山いたに違いない。
くんちの後太鼓山は解体された。誰もさわれず大切に保存され
て七年後の出番を待つという。名残り惜しげに担ぎ棒を撫でてひ
とりがほろっと言った。 「木はだんだん乾いて少しずつ軽うなる
とよ。福島の大変さもそがんなれば良かなあ」
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