『 陰 り ゆ く 街 』
本 文
「これは……」
先に声を上げたのは、准教授の三浦だった。
「膵破裂?」
私が確認するように目線を上げると、視線を交わした三浦が小さく頷いた。
検体は生後七か月の女児で、名を〈納富詩妥〉と記されていた。
身長五十九センチ、体重六キロ、いずれもこの時期の幼児の平均的な数値からはかなり低い。
後頭部を床に打ってぐったりしたと母親から救急要請があったもので、現着時には徐脈とあえぎ呼吸があったが、直後に心肺停止となった。
搬送された病院では、心肺蘇生を継続するとともに、静脈ラインの確保、アドレナリン投与、気管挿管などの救命処置が行われた。
しかし、全く心拍再開の兆候がないため、原因検索として胸腹部レントゲン、超音波検査、CT撮影が並行して行われた。
検査の結果、頭部打撲という受傷機転にもかかわらず、脳内出血は認められなかったが、CT検査で腹腔と心嚢に原因不明の液貯留が認められた。
来院から一時間後、蘇生行為に全く反応がないため、やむなく死亡確認となっていた。
骨折や明らかな体表の外傷は認められなかったが、死亡原因の特定が困難であったため検視が行われた。
検視官の所見でも、特に事件性は認められなかったが、受傷機転とCT所見との整合が得られないことから、司法解剖の施行が決定された事案だった。
初めに受傷機転である頭部の開頭を行い、異変を慎重に探したが、やはりと言うべきか、CT検査のとおり検体の脳のどこにも損傷の痕は認められなかった。
次に、CT画像で認められた腹腔と心嚢の液貯留の原因探索にかかった。
腹部を切開すると、無残に膵臓が破裂していた。加えて、肝挫傷や腸間膜の出血や断裂も起きていた。
さらに心臓を保護する心嚢膜に多量の血液が貯留し、心臓が十分に拡張できない状態となっていた。これを心タンポナーゼと言うが、出血の原因は右心房の破裂だった。
肺胸膜下や横隔膜などからも、多量の出血が認められた。
主な死因は膵破裂と出血であり、右心房の破裂と心タンポナーゼが死を早める修飾因子となったものと判断した。
通常は解剖に同席した検視官から担当刑事に解剖所見の伝達がなされるが、乳幼児の虐待死という特殊な事例であったため、検視官の要請で私が直接待機していた刑事の園部篤志と寺田雄一に説明した。
私が幼児の内臓の損傷個所を説明していくにつれ、刑事たちの眼差しが次第に怒りを宿した獣のような眼に変わった。
抵抗できない幼児の無念の思いが、乗り移ったかのようだ。
「有賀先生、体表に外傷を付けず、これだけ内臓に損傷を与えるケースとしては、どのようなことが考えられるでしょうか?」と園部が訊いてきた。
私は少し思案した後、「そうですね、例えば踵とか、足の裏で腹部や胸部を踏みつけるなどの行為は、体表面に外傷が出来にくいですが、内臓には相当なダメージを与えるのではないかと思います」と答えて、正確でないと思い直し、言葉を慎重に選んでさらに付け加えた。
「勿論、今回のケースがそうだと断定しているわけではありません。表面が柔らかい物を使用した場合も、あるいは何か柔らかい物を介して幼児に強いダメージを与えた場合などにも、明らかな体表損傷が出なくても内臓損傷が起こり得るものと思います」
「なるほど、確かに大人の足で本気で踏まれたら、幼児の柔らかい体はひとたまりもありませんね。ましてや、被害者は僅か七か月です。可哀相に、許せませんよ」
いつもは穏やかな雰囲気の園部が、珍しく怒気を含んだ言葉を吐いた。
「寺田、先生に何か訊いておくことはないか?」
顔を伏せ手帳にメモを取っていた寺田が顔を上げ、私と目線を合わせた。
私は彼の瞳の中に戸惑いの色を見て取ったが、同じような表情を自分も浮かべているのだろうと思った。
どちらからともなく、目線をずらした。
「いえ、特にありません」
寺田の重く沈んだ声が返ってきた。
手帳を閉じると踵を返し、園部と寺田が足早に去って行った。
加害者となり得る人物は限定されている。
両親と幼児の三人家族で、事件発生時に父親は仕事で不在とされていたから、通報した母親が加害者の可能性が高い。
取り調べは厳しく行われるだろう。
早晩、加害者が逮捕され、命を奪われた幼児に代わって罰が下されることになる。
去っていく二人の刑事の背中を見送りながら、お前は罰を受けなくてもよいのか、そんな声がどこからか聞こえたような気がした。
胃液が口の中に逆流したように、私はひどく苦い味を噛み締めた。
医学部の正門を出るとそのまま道路を横切り、真っ直ぐ丘に続く道を選んだ。
いつもは正門を出ると左に折れて坂道を下り、大学病院からきた道と合流して電車通りに出る順路をとるのだが、陽が陰った谷間の道を歩きたくなかった。
いつになくナーバスになっている自分を叱りつける言葉を何回も吐いたが、沈鬱な状況は一向に改善しなかった。
原因はわかっていた。さきほど終えた司法解剖だった。
それは、本当に小さな手のひらだった。
五、六センチぐらいあっただろうか。中指の先まで入れても、十センチにも満たない手だった。
玩具でも握ろうとして、そのまま止まってしまったように軽く閉じられていた。
何かの拍子に動き出しそうに感じられたが、不可逆的に生命活動を停止し、自らの力では二度と動くことのない手だった。
解剖自体は二時間ほどだったから、早く終わった部類に入る。
その後、解剖所見をまとめていたら夕方になってしまった。
肉体的な負荷は感じなかったが、精神的なダメージは意外に小さくない、そう自己分析した。
丘の上の道には、落葉した街路樹の枝を透かして夕陽が当たり、仄かな暖かさが感じられた。
太陽の光にようやく熱量が戻って、このまま暖かい日が続けば、桜の開花もそう遠くないと思わせた。
鼻から深く息を吸い込むと、鼻腔にまだ冷たさを感じたが、春特有のフェロモンのような微かに甘い物質が混ざっていた。
丘の上から坂道を下り交差点に差し掛かると、幹線道路の中央部を南に向かって伸びる路面電車の二本の軌道が見えた。
その軌道上を昔ながらの緑にくすんだ路面電車が二台連続して、陰りかけた西陽に照らされてゆっくりと進んでいた。
所々にビルの影が軌道まで伸び、それらの電車を飲み込んだり、吐き出したりしている。
曲がって消えた軌道が遠く商業ビルの屋上の観覧車につながっているように見え、電車は乗客を観覧車に運んでいくかのように遠ざかって行く。
精巧に作り込まれたミニチュアの街を見ているようだ。
視線を西に向けると、ビルの背後に屏風のように切り立った山稜の連なりが見えた。
三月の陽は傾き、既に市街地の西側半分が薄暗い山陰に沈んでいた。
電停で路面電車を待ったが、いつもは時間をおかずくる電車が、この日に限ってなかなか来なかった。
ふと気づくと陽はさらに傾き、東側の山斜面の付け根まで山陰が伸び、市街地の大半を薄暗い膜が覆いつつあった。
底なしの沼地に市街地が呑み込まれていくようで、心がまた騒めいた。
息苦しさを感じ、椅子に座り込んだ。思考を中断し、自律神経の回復を待った。
やっときた電車に乗り込むと車内は混んでいたが、一つだけ座席がぽつんと空いていた。
それは年間予約された劇場の指定席のように、主の来るのをじっと待っているようだった。誰も座らないことを確かめると、腰を下ろした。
この席は私を待っていてくれたのかも知れないと思うと、気分が少し楽になった。
看板やネオンがちらほら燈り出した車窓の街並みを見ながら、来月からスタートする法医学教室の新体制のことを漠然と思い描いた。
三年前に前教授の榊が退官したとき講師となった田丸が、他の大学に転出するという噂が伝わってきた。
それが事実なら、順当にいけば次は自分だと思った。
研究論文も幾つか発表し、評価してもらっているという自負はあるが、本当の所はどうなのか、自分では計り知れない部分もある。
法医学の分野は、他の研究分野に比べ人間関係が濃密で狭い世界だが、決して閉じている訳ではない。
むしろ法医学の進歩には、他の研究分野の最先端の知見の活用が重要な要素となりつつある。
波佐間教授が教室の将来をどう考えるか、場合によっては他の教室や他大学からの移入人事が行われる可能性がないわけではない。
週明けには人事が発表になる予定になっている。
今回、講師になれない場合には、今後の身の振り方を考え直さなければならないだろうと考えたとき、さきほど別れた寺田の緊張した顔が蘇った。
彼とのことも、そろそろ結論を出す時期に来ていた。
寺田と親しくなったのは、昨年講師を務めた刑事研修会がきっかけだった。
研修終了後の交流会の世話役をしていたのが彼だった。
彼の印象は、とにかく大きい人だと思った。身長が百九十センチ近くあるのに加え、鎧でも着こんでいるように胸板が厚い。
私の身長は女性としても小さい方だから、いつも見上げて話をしている印象がある。
顔のつくりもそれぞれ大きいが、特に眼を引くのが柔道経験者特有の潰れた耳だ。何年か前までは、柔道の国体選手だったと聞いた。
目が鋭く、口数が少ないため、それまでは近寄りがたい雰囲気がしていた。
交流会自体は、日頃の刑事たちの厳しい表情とは打って変わって、親密で和気あいあいとしたものだった。
にこやかな人の輪があっちこっちにできて、それらを連絡する渡し船のように人が次々に流れていた。
そんな中、突如として寺田が仰け反って大声で笑い出した。
苦しそうな哄笑が一時会場に響いたが、花火のあとのようにぷっつりと止むと、何事もなかったようにまた話し込んだ。
そんなことが二度、三度と起こり、先輩刑事から叱責が飛ぶのではないかと心配したが、他の参加者が彼を特に気にかける様子はなかった。
園部にその話をすると、「あいつ、あんな厳つい顔をしていますが、本当は笑い上戸なんですよ。皆そのことを知っていますし、寺田をわざと笑わせようとする奴もいるぐらいです。なんて言うか、ああ見えて愛されキャラなんですよね、あいつ」そんな答えが返ってきた。
寺田という人間に少なからず興味を覚えたのは、そのときだった。
交流会の終了後、一人で帰れると言う私に、彼は世話役として無事に送り届ける責任があると譲らなかった。
私のマンションは左程遠くなかったから、仕方なく歩いて送ってもらった。
彼は私より三つ歳上の三十七歳のはずだったが、私のことを「先生」と呼んだ。
名前か名字で呼んでくださいと言うと、先生は先生ですからと、頑として受け付けない。
並んで歩くと、私は彼の肩までも届かず、街灯に照らされた二人の影は、どう見ても小学生とその父親のように見えた。
片腕で軽く私を抱え上げ、肩にひょいと乗せてくれそうな感じさえした。
そんな話をすると、彼は「すみません」と申し訳なさそうに答え、「肩に乗ってみますか?」と、真顔で抱き上げようとするので、私はびっくりして飛び退いた。
万事がそんな感じで、私が一方的に喋り、彼はそれに短く答えるか、単に相槌を打つかで、会話はなかなか続かないが、彼は一向に気にする様子もなく、時折私を見ては照れたような笑顔を向けた。
お礼を言ってマンションに入ろうとしたとき、彼から思いがけない言葉を掛けられた。
「先生、今度の日曜日は何か予定がありますか?」と彼に事務的な口調で問われ、仕事に関係することだと思い、私は「いえ、特に予定はありませんが」と答えた。
「じゃあ、少し付き合ってくれませんか?」彼からそう言われ、「ええ、いいですけど」と答えると、「午前十時に迎えに来ます」とだけ言って、彼はさっさと帰っていった。
日曜日に何事だろうかと思ったが、私はそれ以上深く考えなかった。
次の日曜日の朝、彼の車に乗せられ連れて行かれたのは、郊外の海辺にあるペンギン水族館だった。
こんなところで何があるのだろうと、私はこの時点でもまだ仕事のつもりでいたが、彼が入園券を買うに及んで、やっとデートの誘いだったのだと悟った。
彼の日頃の様子から、まさかデートに誘われたのだとは微塵も思わなかった。
誘う者も誘う者なら、私も私だと、半ば呆れ、半ば可笑しくもあった。
彼は動物が好きなのだと言って、ペンギンを見て目を細めた。
「出身が池島なものですから、小さいころはなかなか動物園まで行く機会がなくて。父にねだって買ってもらった動物図鑑を、ぼろぼろになるまで見ていた記憶があります」
「あら、私も小学二年生までは池島に住んでいたんですよ」
「奇遇ですね。親会社ですか、お父さんは?」
「ええ、そのあとはずっと東京でしたけど」
狭い島で八年間は同じ時と場所を共有していたはずだが、名前も顔も記憶になかった。
周囲わずか四キロメートルほどの閉じた狭い地理空間と、ほぼ全住民が炭鉱関係者という濃密な地域社会は、住んだ者でなければ分からないことが多い。
その特殊さ故に、そこに住んだことがあるというだけで無条件に親近感が湧く。島のことで話は弾み、打ち解けるのに時間はかからなかった。
動物を見る彼のうれしそうな顔を見ていると、それだけで気持ちが軽くなった。
刑事という鎧を取り去った彼は、仕事のときの厳しい顔とは打って変わって屈託のない笑顔を浮かべ、身振りを交えて種類ごとにペンギンの特徴を逐一説明してくれた。
その能弁さは驚くばかりで、日頃の寡黙な彼と、どっちが本当の姿なのかと呆れるばかりだった。
彼が連れて行くところは、水族館や動物園、牧場など決まって動物のいるところだった。
動物と遊んでいる姿は、子供のように無邪気で、やさしい目をしていた。
そんな彼を見ていると、自然と笑みがこぼれた。
動物と一緒に遊びながら、その一挙手一投足に笑い合った。
研究に没頭していたせいか、心の底から誰かと笑い合ったという記憶がこの何年かなかったような気がする。
彼と一緒に、何度か島を訪ねた。
小さな島だが、その地下には今もなお総延長九十六キロメートルにも及ぶ広大な海底坑道が蟻の巣状に残存し、地上には廃墟と化した炭鉱施設群と、無人となった七十棟近い鉄筋アパートが残されたままだった。
最盛期には七千人を超えていた住民も閉山時には二千五百人になり、今は僅か百人近くまで減少していた。
人の住まない鉄筋アパート群は、敷地の周りを木々に埋め尽くされ、壁面を蔦植物に侵食されて、すでに覆い尽くされた建物も少なくなかった。
かつて賑わった商店街も歓楽街も、今はすべて廃墟となっている。
昔からの島民の家が数軒と、公住アパートの数棟だけに人が住まい続けているが、住民の大半は一人暮らしの高齢者のようだった。
小さな診療所の他に市の出張所と消防派出所、簡易郵便局、二か所の共同浴場が今も維持されているが、いつまで存続できるか心許ない。
二人しかいない小中学校も、やがて廃校になるときが確実にやってくる。
昔の記憶をなぞるように、二人で島の中を歩いた。
飽きることのない風景だった。
島の至る所にそれぞれの思い出が埋もれていた。
その一つ一つを深い記憶の森から掬い上げるように、懐かしく語り合った。
詳しく話を聞くと共通の知人も多く、遠足や神社の祭りや運動会の話など、話題は尽きなかった。
寺田は第二立て坑に通じる切通しの階段踊り場に佇み、ゴルフ練習コース跡をじっと眺めた。父親が閉山直前にそこで自殺したのだと語った。
「賃金カットで収入が大きく目減りした上に、私の下宿代やクラブ遠征費が負担になって借金をしていることは知っていましたが、私は知らないふりをしました。どうしても仲間と一緒に、金鷲旗を制覇してみたかった。私の我儘が父を死に追いやったようなものです」と彼は言った。
私は彼をかつて住んでいた家の近くの森の中に案内した。
そこには、可愛がっていた野良猫を葬った私だけの秘密のお墓があった。
私が立てた縦長の石は、落ち葉の中に埋もれていた。
彼は落ち葉を丁寧に取り除き、石を立て直し、野花を供えてくれた。
私たちは、それぞれの癒えぬ傷を見せ合うことで、お互いを思う気持ちを確かめ合ったのだと思う。
先月の末、郊外のふれあい牧場から帰る車中で、彼からプロポーズを受けた。
女性の研究者はまだ少数で、結構肩ひじ張って生きてきた。
しかし、彼と一緒にいると、素直な自分でいることができた。
動物を見る彼の優しい眼差しに、時にどきっとしたこともある。
夜一人で論文の整理をしているとき、彼からのメールを期待している自分がいた。
彼に好意を感じている、自分でもそれはわかっているが、一方でこれまでの生き方と折り合いをつける必要もあった。
教授からは、視野を世界に広げて研究しなさいと言われる。
果たして私の研究はどうだろうか。
世界とまではいかないにしても、日本で確たる位置を占めることができるだろうか。
嵐に遭遇したヨットのように、強気な自分と弱気な自分が絶え間なく揺れ動いた。
今度の人事が、その答えを示してくれるはずであり、どのような結果になるにしても、これまでの人生の区切りとなる。
返事はしばらく待って欲しいと、彼に伝えた。
車窓に流れゆく街並みは、気づくといつの間にか建て替わっていたり、違う店になっていたりする。
見慣れた風景だが、天候や時間帯で受ける印象も異なり、飽きることがない。なにより電車のゆっくりとした速度が自分の感覚に合って、街並みを眺めるのに丁度いいのだと思う。
島に住んでいたころ、休日は家族でよくこの街に遊びに出掛けた。
買い物や映画を楽しみ、レストランで食事をし、煌めくような夜景を眺めた。
自動車を電停そばの駐車場に停め、街中の移動は専ら路面電車を使った。
長椅子に膝を立て、車窓の過ぎゆく景色に目を凝らした。
何回見ても、飽きることのない眺めだった。
その頃が家族にとって一番幸福な時期だった。
東京の本社に異動してしばらくしたころ、電力自由化で安価な輸入炭が急増して炭鉱は苦境に陥り、父は会社の経営立て直しに忙殺され、島との頻繁な行き来や長期出張を強いられた。
やがて組合との合理化や賃金カットの交渉で神経を擦り減らし、ついには閉山交渉の重圧から、父は家に帰って来てもほとんど口をきかなくなった。
家族の間にすれ違いが多くなり、会話は途絶えて家族関係は冷え切った。
私が中学三年の秋、炭鉱はついに閉山した。
大学に進学するとき、両親から離婚することを告げられた。
それぞれ新しいパートナーがすでに決まっていた。
私がこの街の大学に進学したのも、小さい頃の楽しい記憶が影響していたのだろうと思う。
大学に入学するとき、東京から鈍行列車を乗り継ぎ、二日がかりで終点のこの街に辿り着いた。
改札口を出て橋上の駅前広場から電停に降り、再びこの路面電車に乗ったときの歓びは格別だった。
あれからもう十六年になるのかと思うと、車内の造作も幾分くたびれているように感じられる。
生きてきた時間の半分を、この街で過ごしたことになる。
この街での移動はいつも電車を使う。
今でも電車に乗ると、子どものときのように心が浮き立ち、ほっと気持ちが休まる。
この街ほど、電車が似合う街はないと思う。
電車は徐々にスピードを緩め、次の大学病院前の電停に停車した。
大学生らしい若者が数名乗車した後ろから、二歳ぐらいの幼児を抱いた男性が乗り込んできた。
幼児は私と目が合うと、にっこり微笑んで手を伸ばしてきた。
男の子だった。小さな手のひらだったが、自分の未来を掴み取ろうとでもするかのように、貪欲な意思を秘めていた。
幼児の体に隠れて父親の顔は見えなかったが、私は席を譲ろうと立ち上がった。
「ここ、どうぞ」
掛けた声に振り向いた男性は、微笑んでいた顔を一瞬にして強張らせた。
私も息が詰まる思いがした。心臓が急に高鳴り、早鐘のように血流が鼓膜を頻繁に打ち鳴らした。
拓矢だった。間違いなく、久野拓矢だった。
学生時代の精悍な顔立ちは少し丸みを帯びていたが、いつも笑みを浮かべているような眼差しは変わっていなかった。
懐かしさが込み上げたが、同時に苦い記憶が瞬時に蘇った。
八年ぶりの、予期せぬ再会だった。私は咄嗟にぎこちない笑みを作った。
それが自分にできる精一杯の反応だった。
彼は困惑した表情ののち、わずかに微笑みを返し、そのまま前方に進んで吊革に手を伸ばした。
抱かれた幼児は身を反らして私の方を見ていたが、彼がICカードを渡すと、嬉しそうに笑い声を立てた。
カードを珍しそうに翳し、彼がいじっている携帯電話の画面に盛んに触れるような仕草を繰り返して喜んだ。
私は見まいとしたが、どうしても二人の姿を視野の端で追ってしまう。
まさか、こんなところで拓矢と再会しようとは、思ってもみなかった。
彼は工学部の大学院博士課程を突然中退し、この街に主力工場をもつ大手機械メーカーに就職した。
今から八年前のことだ。博士課程の修了を一年後に控えていたから、指導教授をはじめ周囲の人たちを困惑させた。
その突然の変心の原因を作ったのは、間違いなく私だった。
勤務地は横浜の工場だと人づてに聞いていた。
多分転勤でこの街に戻ってきたのだろう。
医学部の友人が彼と同じ高校出身だったから、学食で会うと一緒に食事をしたり、話したりしたが、大学時代はお互いを特に意識することはなかった。
私が医師国家試験に合格し、大学院の博士課程に進んだとき、彼はすでに工学部の博士課程の三年だった。
双方の指導教授が親しく、榊教授に頼まれて私が彼の研究室を訪ねて再会した。
二人が特別な関係になるのに、それほど時間はかからなかった。
自然な成り行きだったように思う。研究の分野は違ったが、お互いに研究者を目指していたから話が合ったし、理解し合える部分が多かった。
将来の目標を共有した戦友のような感覚でもあった。
生活費を抑えるために、一緒に住もうと言い出したのは、彼だった。
諏訪の森近くに2LDKのマンションを見つけてきて、もう仮契約を済ませてきたと声を弾ませた。
建物は古いが、六階のベランダから港の入口に架かる大橋が見えて眺望がすばらしく、大学から少し遠いが、電車の電停がすぐ近くだから通学に問題はないと力説した。
生活費の明細をこと細かく計算した紙を見せられ、いかに二人で暮らす方が合理的か説明を受けた。
お互い研究とアルバイトに追われる日々だったが、助け合い、励まし合って厳しい研究生活を乗り越えていた。
しかし、あることをきっかけに、彼は突然部屋を出て行ってしまった。
私はその後もそのマンションに住み続けた。
彼の部屋はがらんとして、今でもそのままにしてある。
しばらくの間は彼が戻ってくるかもしれないと密かに期待したが、二度と彼が私の部屋を訪れることはなかった。
学内で偶然顔を合わせることもあったが、私を見る彼の眼は、もはや何も語ってはくれなかった。
そして翌年三月、彼は大学院を中退し、完全に私の前から姿を消した。
「すべては私が悪い」
私は悔悟して、そう呟いた。
電停を幾つか通り過ぎ、車窓から外を見上げると、商業ビルの屋上に大きな観覧車がゆっくりと回っていた。
拓矢が出ていった夜、この観覧車にひとりで乗った。
部屋にひとりで居ることに耐えられず、電車に乗ってあてどなく街を彷徨った。
ふと見上げた空に電飾が煌めく観覧車が見えて、吸い寄せられるように乗り場に立った。ひとりで何回も乗り続けた。
最初は係員に不審がられ、そのうち呆れられ、そして最後には、もう降りなくていいよ、そのまま乗っていなさい、と言ってくれた。
誕生日には、必ず拓矢と二人で乗りにきた。
煌めく夜景を眺めながら、この街でずっと一緒に暮らそうと話した。
子どもが出来たら、みんなで乗りにこようと彼は言った。
観覧車から見た美しい夜景を忘れるはずもないが、あの日以来一度も乗っていない。できれば忘れてしまいたい記憶だった。
次の電停では乗車する人が多く、車内は込み合った。
バーゲンが行われていたから、買い物袋を提げた人が多く、車内の窮屈さが一層増した。
私の前に、買い物袋を抱えた同年配の女性が立った。
裾まですとんと落ちたカーキ色のロングワンピースに、足元に黒のリブレギンスがのぞく落ち着いた服装に、ショートヘアで透き通るような肌の白さが印象的な女性だった。
幼児用の紙おむつが袋から見えていたから、既婚者だろうと思った。
重そうに、荷物を持つ手を変えた。お腹はまだ目立たなかったが、妊婦だろうと直感し、私は席を譲るために立ち上がった。
女性は初めのうちは恐縮して辞退したが、やがてお礼を言って着席した。
その女性はほっと一息つくと、上体を伸ばし車内を見回して誰かを探しているようだった。
そのうちぱっと笑顔がこぼれ、遠慮がちに手を挙げた。
私が女性の視線を辿ると、その先には拓矢に抱かれた幼児がうれしそうに微笑んでいた。
幼児は女性の方に手を伸ばして身を乗り出した。
拓矢が慌てて受け止めたが、幼児はなお女性の方に体を伸ばしむずかった。彼は仕方なく乗客たちに謝りながら、女性の前まで連れてきた。
女性が幼児を抱き取ると、今度は彼が荷物を受け取り私の横に立った。
母に抱かれた幼児の笑顔と笑い声に、車内の空気が和むのがわかった。
母と幼子との絵に描いたような心温まるシーンだった。
私は目線を上げ、外の風景に視線を移した。最も見たくない光景だった。
その女性が母として幼子を抱くその席は、私が母として座る席だったかも知れなかった。
しかし、自らそうなることを拒み、今の生き方を選んだ。
無言のまま隣に立つ彼から、言いようのない重圧を感じた。
実際は分かるはずのない彼の体温を感じ、彼の息遣いが聞こえるかのようだった。
私の全身全霊が彼の存在を意識していた。
彼を意識すればするほど、あの夜のことが否応なく思い出された。
私はその場から逃げ出したい衝動に辛うじて耐えた。
あの日、マンションに帰り着いたのは、午後七時を少し回っていた。
部屋に灯が燈っているのを見ると、憂鬱さが一層増した。
その夜の拓矢の帰宅はもっと遅い時間のはずだった。悪い予感が全身に広がった。
夕方、携帯電話の電源を入れると、午後二時以降に彼からの着信が立て続けに入っていた。
居場所や帰宅時間を訊ねるメールも届いていた。
彼が必死になって、私と連絡を取ろうとしていたことは間違いない。
それが私の今日の行動に関連したものか、或いは全く関係なく緊急の知らせがあったのかはわからなかった。
敢えて返信をしなかった。この街を離れていることを知られたくなかった。
もし彼が何かを感じ取っているなら、何を言われようと、今日のことは嘘をつきとおすしかない、そう決めていた。
音を立てないように開錠し、そっと玄関ドアを開けた。
「お帰り、遅かったね」
彼がリビングから顔を向けていた。
「ええ、拓矢こそどうしたの。今日は研究室の忘年会だって言っていたじゃない?」
必死に芝居をしている自分がいた。
「今日は欠席した」
「欠席って、具合でも悪いの?」
「いや、ぼくは何ともないよ。それより、青葉はどこに行っていたの?」
私は彼の射貫くような視線を辛うじて受け止めた。
「私?どうして?」
平静を装ったが、内心は心臓が張り裂けんばかりに鼓動した。
「朝、君が特急に乗るところを見たと、安田が言うものだから。福岡に行ったの?」
そういうことかと、やっと腑に落ちた。
人違いだと知らを切り通すか、福岡行だけは認めるか。
瞬間的にどう言い訳するか迷ったが、ここで躊躇することは許されなかった。
「福岡?それ、安田君の見間違いだよ」
咄嗟に口を突いて出た言葉に、自分自身が一番驚いた。
彼の顔の緊張が少しほぐれた。
「そうか、福岡に行ったんじゃなかったのか。研究室に確認したら、休んでいると言うし、てっきり福岡だと思った。でも、何回電話してもつながらなかったけど」
「図書館に居たの、市の図書館の調べ物室。教授には了解を取っていたんだけど。着信は夕方に見たけど、忘年会に出ていると思って、電話しなかったの」
「そう、それならいいんだ。ごめん、変なこと訊いて」
強張っていた彼の顔が緩み、安堵の表情が広がった。
私は平気で嘘を重ねていく自分が恐ろしかった。
考えてもいない言葉が次々に口をついて出た。
彼はこれ以上詮索するつもりはないというように、背中を向けて専門書を読み始めた。
彼の反応にほっと安堵したが、その背中を見ているうちに、私の中にむくむくと怒りに似た感情が沸き起こってきた。
何故自分だけがこれほど苦しまなければならないのか、やり場のない憤りだった。
そのどうしようもない憤りが、私に思いもよらない言葉を吐かせた。
「でも福岡だと、どうしてそんなに心配だったの?」
何を言っているのだ、私は自分で自分の言動を制御することができなかった。
そんなことを訊くつもりなど毛頭なかった。
それを訊けば、彼が決定的な問いを発することがわかっていた。
私が最も恐れていた問いだった。
彼は私の真意を測りかねたような顔をして、翻した体をまたこちら側に戻し、しばらくじっと私を見つめた。
「青葉さ、妊娠しているだろう?」
確信に満ちた響きだった。
その言葉には、何の迷いも含まれていなかった。
生理が止まってこの三週間、彼からその言葉が出るのを密かに恐れ、そう問われたら何と答えようかと、堂々巡りの思案を繰り返してきた。
しかし、このときの私には、なぜ今なのかという絶望が沸々と頭を擡げてきた。
そのどうしようもない絶望は、逆に攻撃性を含んで口をついて出た。
「仮にそうだとして、それと福岡行きと、どう関連するの?」
彼に向かって吐いた言葉が、自分自身をさらに追い詰めていくことがわかっていながら、どうすることもできなかった。
重圧に抗いながらやっと心身を支えていた心棒が、ぽっきり音をたてて折れてしまったようだった。
私の心の均衡が、崩れ去った瞬間だった。
彼の瞳に恐れと疑念が浮かんだのが、はっきり読みとれた。
「それは、つまり……心配だった。君が密かに中絶手術を受けに行ったんじゃないかと、ふとそう思ったんだ。でもよかった、ぼくの取り越し苦労だった」
私は彼の言葉に間髪を入れずに反応した。
「そうよ、あなたの言うとおりよ。図書館に行っていたなんて嘘だわ。私、今日、福岡の病院で中絶手術を受けてきたの」
無理に笑顔を作ろうとしていた彼の顔が、一瞬にして凍り付いたように強張った。
眼は何かを探すように視線が虚ろに空中を彷徨い、椅子に腰かけたまま呆然とした。
「どうして、今なの?気づいていたなら、どうして昨日、そんな風に訊いてくれなかったの?ねえ、どうして、どうして今なのよ」
言葉が堰を切ったように溢れ出た。
私の突然の問い掛けに、彼はどう反応してよいかわからないようだった。
「ぼくは、君が話してくれるのを待った方がいいと思った。まさか、こんなことになるなんて」
違う、私は心の中でそう叫んでいた。
「拓矢、卑怯よ!今の状況を考えれば、無理に決まっているでしょう。私は修士論文を一月までに仕上げないといけないし、拓矢は実験が佳境に差し掛かっているのよ。今はアルバイトだって辞めているでしょう。どうして産めるのよ、こんな状態で」
彼は焦点の定まらない視線を向けたままだった。
「第一、父にどう説明するの、母には。産もうと思えば、私もアルバイトを辞めないといけないし、まとまったお金も必要だわ。父にその費用を出せと言える?産んだ後は、誰が育てるの?私たちには無理でしょう、大学院でハードな勉強と研究をしながら育てられる?そんなの、無理に決まっているわ!」
私は自分のむごい行動に対して、考えられる限りの言い訳を吐いた。
その言葉は、そのまま彼の胸に突き刺さっていくようだった。
「誰も喜ばない妊娠だってことは、少し考えればわかるはずだわ、違う?あなたは逃げたのよ。私一人に決めさせて、自分は手を汚したくなかったのよ」
私は毒のある言葉を次々と彼に浴びせた。
彼の体にその毒素がアメーバ―のように醜く張り付いて、内部に沁みていくようだった。
「ぼくは……大学院を辞めようと思っていた。今からでも就職できる会社が市内にないか、教授に相談していた」
彼は力なく言葉を返した。
「あなたは自分を正当化したいだけなのよ。でも、本当はわかっていたはずだわ、私が妊娠したことを相談しないのは、中絶手術を選択しようとしていることだと。だから、慌てたんでしょう、今日、違う?」
拓矢は俯き、何も言わなかった。
私の言葉を反芻するように、唇だけが僅かに動いた。
「そうよ、あなたが何も言ってくれないことが、私には余計にプレッシャーだった。私一人で、どうすればよかったと言うの?私にはほかにとるべき選択肢はなかったのよ」
自分を正当化しようとしているのは私の方だった。
妊娠の徴候に気づき、検査薬に赤紫色のラインを見たとき、中絶手術のことしか頭になかった。
修士論文の提出期限が目の前に迫っていた。
榊教授とは、次年度から始まる後期博士課程の研究課題について既に相談を始めていた。
そんなときに妊娠を知られることは、自分の将来を閉ざすことだと思った。
そして、彼に知られることを最も恐れた。
彼が中絶に反対するだろうことが、容易に想像できた。
私にとって、産むという選択肢は最初からなかった。
中絶手術が可能となる妊娠六週目をじりじりとした思いで待ち、調べておいた福岡市の病院を受診した。
それも拓矢に気づかれないようにと、彼の帰宅が遅くなる日をわざわざ選んだ。
自分の身勝手な言い分に吐き気さえ覚えたが、そうしないでは一時も彼の前に立っていられなかった。
「すまなかった……」
彼はぽつりとそれだけを言うと、夢遊病者のように放心したまま自分の部屋に消えた。
激しい後悔の念が襲ったが、もはやどうすることもできなかった。
一線を越えてしまったという思いに打ちひしがれ、私はその場に座り込んだ。積み木が崩れるように、全身から力が抜けた。
さっき言ったことは自分の本心ではないと言い訳して、彼に縋りつきたかったが、そんな自分をあざ笑うもう一人の自分がいた。
それから程なく、彼は大きなバックを抱えて部屋を出てきた。
何も言わなかったが、私を見る瞳は、冷え切った鉄の塊を宿しているかのようだった。
私がどんなに繕ってみたところで、今さら無駄であることがわかった。
彼は一言も発せず、そのまま玄関のドアを開け静かに出て行った。
バックを抱え電車に乗り込む拓矢の後ろ姿をベランダから見送りながら、思いがけず溢れてきた涙に私は混乱した。
涙は後から後から溢れ出て、そのうち私は咽び、やがて声を出して泣いた。
何を悲しんで泣いているのか、自分でもよくわからなかった。
殺したわが子を憐れんでいるのか、あるいは拓矢との別れを悲しんでいるのかさえわからないまま、私は泣き続けた。
私はふと下腹部に違和感を覚え、左の手のひらをお腹に当てた。
微かな疼きだった。麻酔をされていたから覚えているはずはないのだが、中絶手術を受けたときの子宮の表面が剥がれる感覚が、ときどき不意に蘇る。
続いて、超音波検査装置で見た胎嚢の画像がフラッシュバックした。
三センチほどの黒い紅花隠元のような楕円形をした胎嚢は、表面が白く縁どられていた。
その中に指輪のように光り輝くリングが見てとれ、その下側にダイヤのように点減し拍動する胎児が確認できた。
やろうと思えば心拍も聴くことができたはずだ。
間違いなく小さな生命体が子宮の中に宿っていた。
その小さな生命体は、庇護者であるはずの私の殺意によって子宮から剥され、生存できない体外に排除されて生命を害されてしまった。
母親の膝の上で独り遊びをしていた幼児が、手に持ったICカードをお腹に当てた私の左手に伸ばし、腕時計にカードを合わせるような仕草をした。
電車のカードリーダー機に接触させる真似をしているのだとすぐわかった。
私は何気なしに、ピッと音を真似てやった。
幼児の顔に満面の笑みが浮かび、その大きな瞳を輝かせて私を見た。
そして、また同じ動作をした。私はまたピッと音を真似た。
喜んだ幼児は同じ動作を繰り返し、私もその都度応えてやった。
母親も、周りの乗客も、微笑ましい光景に眼を細めた。
しかし、幼児がカードを翳す度に段々と、私のお腹の奥が鈍く疼くように感じられてきた。
子宮内膜に残るかつての生命体の痕跡が反応して、幼児と意思を交わしているのではないかと思え、次第に幼児から責められているような気がして、私はついに言葉を発することができなくなってしまった。
私は手を引っ込めたが、それでも幼児は執拗に私のお腹に向けてカードを翳すことを止めてくれない。
俯き無言で立ち尽くす私の握り締めた左手が小刻みに震え出した。
不意に叫びたい衝動が込み上げてきたとき、私の左手を誰かの手が包むように握り締めた。
すんでのところで、私は踏みとどまった。
隣に立つ拓矢の手だった。
私は呆然と彼の顔を見上げたが、彼は微動もせず、緊張した顔を真っ直ぐ正面に向けたままだった。
路面電車は駅前を通過し、車内に次の電停を告げるアナウンスが流れた。
幼児を抱いた女性は拓矢を促し、私ににこやかな笑みを見せて立ち上がった。
絵に描いたような幸せそうな家族だった。
抱き上げられた幼児は手にカードを掲げたまま、最後まで私から眼を逸らさなかった。
顔からは笑みが消え、私に何かを問いかけ、責めるような眼差しだった。
立ち去るとき、拓矢が一瞬だけ私の方に顔を向け、視線を交わした。
その労わるような眼差しが、なお一層私に絶望的な思いを抱かせた。
私の前には、空席となった緑色の座席が出現し、彼が立っていた隣のスペースにも空きができた。
しかし、誰もその座席に座る者はおらず、空いたスペースが埋められることもなかった。
彼らがこの近辺に住居を構えていることは確実で、これからは同じ電車を利用することになる。
私は小さく首を振った。私にはとても耐えられそうにない。
左手にはまだ、拓矢の手の感触がありありと残っていた。
熱い焼きごてで刻印されたように、その手は熱を持って疼いた。
電車は跨線橋や立体駐車場下のトンネルに侵入すると、暗闇に輝く街灯を飲み込むようにスピートを早め、前方からは車のヘッドライトの灯が次々に眩しくすれ違った。
後ろを振り返ると、通り過ぎた車のヘッドライトは瞬時に輝きを失い、赤いテールランプが歪んだ街の残骸のように曲がったトンネルの奥に消えた。
電車の行く手は未来であり、過ぎ去った街並みは過去の遺物のようだ。
しかし、視界から消えた街並みは、霧消して無くなったのではない。
軌道沿いに延々と連なり、見えなくなった今も、厳然と存在し続けている。
同じように、過去の過ちを消し去ることはできない。
これからも、十字架となって私を責め、懺悔を強い、償いを求め続けるに違いない。
前方の軌道の先に見える稜線は、まだわずかに明るさを残していたが、すり鉢の底の市街地は薄い闇に飲み込まれ、この街に夜が迫っていた。
私は次の電停で降りるとコートの襟を立て、電車通りをゆっくりと歩き出した。
一人だけのマンションに、このまま真っ直ぐ帰りたくなかった。
光と熱源を失った街は急速に冷気に包まれ、どこか見知らぬ街角を歩いているようだ。
通りには郊外に向かう自動車が家路を急ぐように次々に流れ、歩道に人影は疎らだった。
昼間の暖かさが嘘のように通りを冷たい北風が吹き抜け、私の体を叩いた。
暫くして後ろから来た電車が追い越していった。
車内には暖かい灯が燈り、制服姿の女子高校生や家族連れが楽しそうに語らっていた。
遠ざかって行く電車は暗がりに煌々と浮かび上がり、その電車に乗っている人だけが幸福な未来を約束されているようだ。
私には、あの電車に乗る資格が元々なかったのだと言い聞かせた。
脳裏に解剖した幼児の遺体が浮かんでは消えた。
幼児が死に至った状況を頭の中で繰り返し再現した。
幼児の網膜には、暴行を加えた人間の姿が鮮明に焼き付いていたはずだ。
(その姿が、本来なら自分を護ってくれるはずの母親だったとしたら…。)
仮に暴行を加えたのが母親だったとして、その母親と人工妊娠中絶で胎児を堕胎した自分と、罪の重さにおいてどれほどの違いがあるのだろうかと思った。
刑法では、私が堕胎罪で、あの幼児の母親が殺人罪となり、等しく処罰されなければならない。
ただし、別に定める母体保護法により、暴行などで妊娠した場合と、肉体的、経済的理由で母体の健康を損なう恐れがある場合に限り例外として人工妊娠中絶が合法的に認められる。
私は学生だという経済的な理由を自己申告し、中絶手術を受けた。
しかし、私は既に医師免許を取得し、研修医としてそれなりの報酬を得ていた。
法律が求める配偶者の同意についても、〈配偶者が知れないとき〉という虚偽の申請をした。父親の同意が必須要件となっていたからだ。
考えてみれば、それは父親である拓矢の意思を偽り、彼を愚弄する行為だった。
虚偽申請までして受けた堕胎手術が正当な中絶要件に合致するはずもなく、刑法を正しく適用すれば、私の行為は、堕胎罪で断罪されるべきものだった。
あれから八年が経過したが、まだ控訴時効にも該当していない。
ときに法医学者には法廷で重要な証言を求められる。
その法医学者が犯罪者であることは許されない。
〈私は法医学者でいるべきではない〉それが私の出した結論だった。
そしてもう一つ確かなことがあった。
刑法に関する犯罪の捜査や犯人の逮捕に従事する刑事の配偶者としてもまた、私は甚だ不適格であると言わざるを得ない。
携帯電話を取り出すと、寺田の電話番号を選択した。
何回か呼び出し音がした後、留守番電話のメッセージに切り替わった。
私は電話を切った。すでに被疑者の取り調べが行われているかも知れなかった。
私は寺田へのメッセージを入力した。
『私は八年前に虚偽の申告をして、人工中絶手術を受けました。罪を犯した者は法医学者でいるべきではなく、あなたの配偶者としても、不適格です。正当な理由なく胎児を殺した私は、まだ処罰を受けていません。』
寺田への回答であり、決別の言葉だった。
しばらくそれを眺めた。一瞬ためらったが、私は意を決し送信アイコンを押した。
私がマンションに帰り着いたとき、辺りはすでに夜の帳が覆い尽くしていた。
誰もいない部屋は、長い旅行から戻ったときのようによそよそしく、寒々としていた。
あえて部屋に灯は点けなかった。リビングの窓から月の光が床に差し込み、天井が街の残光で淡く明るんでいる。
テーブルの上にバックを置いたとき、突然に暗い部屋の四方を震わせるようにスマートフォンが振動した。
バイブレータがバックの中で揺れ動き、バック自体が意志あるもののように点減した。
取り出したスマートフォンの画面には、〈寺田雄一〉と黒い文字が切迫して浮かび上がっていた。
電話には応えず、私はスマートフォンをテーブルに置いた。一旦切れて静かになったが、スマートフォンは再び狂ったように振動を始めた。
寺田のもどかしい思いを体現するかのように、部屋の中に光の点減が忙しなく映った。私は電源を切った。
かつて拓矢が使っていた部屋の扉を開けた。
がらんとした部屋には、窓辺に机と椅子が残され、空のスチール本棚が壁際に立っていた。八年間使われていない部屋だった。
私は椅子に座り、机の一番上の抽斗を開けると、中から透明の小さなガラス瓶を取り出し、机の上にそっと置いた。
窓から差し込む月の光がガラス瓶を照らし、中に浮かぶ小さな物体が朧に輝いているように見えた。
僅か一センチばかりの胎児だった。両生類と爬虫類の合いの子のような形態のまま成長を停止し、液体の中に漂っていた。
頭と体が同じぐらいの大きさでくびれ、頭には眼らしきものがあり、手と足が体から伸びているが、まだ尻尾らしきものも残っている。
胎児は胎内の十月十日で、三十八億年にも及ぶ地球での生命進化史を追体験すると言われる。
受精後三十二日ぐらいで魚類の形から両生類へと変身を開始し、さらに手が形作られて爬虫類へと進んで行く。
特に三十二日目から三十八日目の間に、胎児は鰓呼吸から肺呼吸に体を作り変え、水中にいた古代魚が苦しみながら成し遂げた上陸劇を追体験するのだといわれる。
胎児にとっては、この時期が最もリスクを伴う期間でもある。
中絶手術の麻酔から醒めたとき、医師から堕胎した胎児を見せられ、自分で弔いをするか、病院で処分するかを問われた。
病院にとって堕胎した胎児は、単なる医療廃棄物でしかなかった。
私はわが子の亡骸を引き取って帰ってきた。
ガラス瓶の中の胎児は、厳密には六週と三日、延べ日数で四十五日間生きたことになる。
最もリスクのある時期を生き抜き、心拍が確認できるまでに成長していた。
心拍が確認できると、流産の可能性が大きく低下し、正常妊娠と考えてよく、妊娠証明書が発行され、母子手帳が貰える段階だった。
この児は懸命に生きようとしていた。
そのまま行けば、確実にこの世に生を受けていたはずだ。
それを私は自分の都合のみで害してしまった。
それに引き換え、あの幼児の母親は、少なくとも妊娠期には胎児を育み、つわりで胎児と苦しみを分かちあったはずだ。
虚偽の申告により手前勝手な理由で胎児を殺した私より、子どもと生みの苦しみを共有した母親の方こそが、よほど情状酌量されて然るべきではないか。
そう思うと、言いようのない絶望感に打ちひしがれた。
ふと誰かに呼ばれたような気がして、私はベランダに出た。
肌を刺す冷たい北西の風が吹きよせ、スカートをはためかせた。
潮と油が混ざり合った島特有の匂いを嗅いだような気がした。
笑っている父と母の顔が浮かんだ。
社宅のベランダから家族でよく水平線に沈む夕日を眺めた。
もう二度と、あの幸福な時間が訪れることはない。
通りの電停を見ると、無人の電車が動き出し、港の方に速度を上げながら小さくなっていった。
その軌道の先には、港の入口を跨ぐ大橋の橋脚が靄の中に十字となって輝いていた。
二本の橋脚の上部からは、電飾されたワイヤーロープが翼を広げるように幾本も斜めに張られ、手を繋いだ二人の天使が今にも天に飛び立とうとしているように見えた。
拓矢が自慢していた夜景だった。
あの日さえなかったなら、このベランダから親子三人で眺めたはずの景色だった。
橋脚の真上には、望月に数日を残した少し歪んだ月が冴えた夜空に浮かんでいた。
ガラス瓶を月に翳すと、片方だけ丸く膨らんだ楕円の中に胎児がすっぽりと収まった。
月の輪郭が胎嚢のように光り、その中で胎児が気持ちよさそうに漂ってた。
分化が途中で止まり、もみじの葉の形をした手のひらが、私の方に差し出されていた。
私は人差し指をガラス越しにその小さな手のひらに重ねた。
胎児がゆっくり揺れ動いた。
心臓が白く点滅しているように見え、異様に大きな目が私を見詰めていた。
その瞳が意志あるごとく、私に語り掛けてくるように思えた。
胎児が微かに頷いた。
何かに背中を押されるように、私は胎児と一緒に空へ飛び立とうとした。
ベランダの手すりに上体を預け、体が空中に支えを失いかけたとき、突如として後ろから強い力で掴まれ、引き戻された。
黒い大きな影が私を易々と抱きかかえ、部屋の中に戻した。
私は手足をばたつかせて、必死に抵抗した。
しかし、その大男は私を後ろから抱いたまま座り込み、なお一層強い力で身動きできぬほどきつく抱きしめた。
「絶対に放しませんよ、先生!」
私は咄嗟に後ろの男を見遣った。
そこには、痛々しく潰れたあの耳と、一つ一つが造作の大きな目と鼻と唇があった。
寺田だった。途端に全身から力が抜け、不意に涙が零れた。
あの日以来、泣くことさえ忘れてしまっていた。
涙は止めどなく溢れ、私は声の限りに泣いた。
彼の大きな体に抱きしめられながら、ガラス瓶の胎児を握り締め、私は止めどなく泣き続けた。
泣くことだけが、私にできるただ一つの償いだった。
(了)