俳句とエッセー⑮『 海 山 村 Ⅱ - 峡 の 空』 津 田 緋 沙 子
峡 の 空
立 秋 に 届 き し 手 紙 手 漉 き 和 紙
鮭 の 身 の 立 つ ほ か ほ か の に ぎ り 飯
三 さ い の お て が み ご つ こ ほ う せ ん か
燕 帰 る そ の 日 を 記 し 農 暦
秋 燕 や 青 深 深 と 峡 の 空
燕 帰 る 幼 ひ と り の そ を 知 れ り
鈴 虫 や 介 護 ホ ー ム の 夜 の 早 し
燕 帰 る
友人の山の家は戸ロの一番上のガラスが一枚きれいに外されて
いる。
土間の上に巣を作った燕のための入ロである。都会から帰
郷した彼がここで農業を始めてから十数年。今年もここをくぐつ
て燕はやって来て、先日、十羽にも増えて、 ここから南に帰って
いった。 初めはすぐ崩れていたという巣も板で補強され、今や古
巣の貫禄である。
帰燕の時はわかるそうである。何となく周囲がザワザワし始め、
やがてどこからともなく燕が集まってくる。今年など五十羽余り
が高い電線に並んだという。最後に飛び立った一羽は小さくて遅
れまいと必死の気迫だったと友人は目を細める。
雛の巣立ちの時も仲間の燕がやってくるそうだ。お祝いの虫を
持って? と尋ねると、それは無いよと笑っていたが、来年は目
を凝らして観察するに違いないという気がした。彼の話はいつも
詩集のようである。
お隣の納屋の燕もスーパーの入ロの燕も、ある日忽然と見えな
くなった。みんな今頃どのあたりを飛んでいるだろうか。あの小
さな体で東南アジア辺りまでの長い旅…無事を祈るばかりである。