見出し画像

俳句とエッセーと諫早風景㉜『 海山村Ⅱ - けふの名残 - ころろころろ 』 津 田 緋 沙 子

   け ふ の 名 残 


青  蛙  こ  ろ  ろ  こ  ろ  ろ  の  聞  き  た  き  夜
木  戸  番  の  水  打  つ  と  き  や  下  駄  の  鳴  る
打  水  や  の  そ  り  と  猫  の  帰  り  く  る
髪  洗  ふ  け  ふ  の  名  残  の  砂  の  粒
声  あ  げ  て  泣  き  て  忘  れ  む  髪  洗  ふ
七  月  や  部  員  総  出  の  畳  干  し
夏  の  果  星  の  時  計  の  傾  き  ぬ
 
 

  こ ろ ろ こ ろ ろ


 転校先の山の学校の若い女の先生は颯爽としていた。男の子達
は先生を好きなあまり、次々と悪戯を仕掛けた。 入りロに黒板消
し、椅子に鳥黐、白墨の箱には蛙…、 この時の先生の悲鳴に暫く
蛙の持ち寄りが横行した。不格好で大きい奴をと。先生は木製の
大きな三角定規を手に教室に来るようになった。蟇でも顔色ひと
つ変えず、三角定規で窓の外にポイである。
 組にーちゃんという子がいた。場面緘黙症で教室では全く口を
聞かず、 只にこにこしていた。ある朝、 一ちゃんも先生に片手を
差し出した。 「あら青蛙」と大切に掌に受け取り、 「きれいな緑
色ね」と長いこと見入っておられた先生は、 その日、 オルガンを
弾いて私達に蛙の歌を教えてくださった。
たしか、 ♪…月夜の田圃でころろころろころろころころ鳴く声
は  あれはね  あれはね  あれは蛙の銀の鈴… ♪,
 歌いながら、私はーちゃんの口も小さく動いているのを見た。
見るなと私を小突いたのは隣の悪童。
 思い出の欠片が合わさると今ならわかることがある。今年の初
夏も田圃の畦や止水に青蛙の白いメレンゲの泡をたくさん見かけ
た。 (了)


本明川大橋から諫早市街地を望む。諫早には『雨の道』が通っているという。小さな雨雲の兵隊たちが小太鼓を鳴らして進軍してきた。今夜は雨かもしれない。

 あ と が き

 『海山村』から五年、私の住む海山村はずいぶん変わりました。私にとっても右往左往の日々でした。子ども達が家を離れ、夫婦と老犬との静かな暮しが始まった途端の夫の病状悪化、二年余の看取りの後、 コロナ席巻の中で見送り。ままならぬ忌の一年の半ばには右腕を骨折し、半年近くギブスを振り回しながら乗り切ったら、次に来たのが自身の病気でした。
 ところがこの三ケ月の入院は間違いなく私のターニングポイントでした。入院のお陰で得たものの大きさを今しみじみと思っています。俳句も少し変わってきた気がします。
 投稿をさぼろうとすると、暗に強くあれと励まして下さった主宰、休んじゃえ、良い、良いと心を包んで下さった奥様、お二人のお陰で俳句の楽しみを失わずにすみました。いつも辛抱強く見守って俳句の道を繋いで下さったことに心より感謝申し上げます。これからも一歩一歩と念じつつ。              

                                      令 和 四 年 八 月 吉 日

                   津 田  緋 紗 子


 

 これで津田緋沙子さんの『海山村Ⅱ』の連載を終了します。
 長らくお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。
 あらためて、津田さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 津田さん、これからも私たちを見守っていて下さいね。



下記に、これまで公開した津田緋沙子さんの俳句とエッセーをまとめましたので、ご一読いただければと思います。

諫早出身の日本浪漫派の詩人・伊東静雄の青春の苦悩を綴りました。ご一読いただければと思います。

よろしければ、諫早湾を舞台にした小説をお読みください。


いいなと思ったら応援しよう!