俳句とエッセー⑦『 海 山 村 Ⅱ - 納骨の旅 』 津田緋沙子
納 骨 の 旅
残 雪 や 二 百 年 輪 仄 明 し
ふ る さ と へ 納 骨 の 旅 春 の 星
ハ モ ニ カ を 吾 に 吹 く 子 や 春 の 星
川 鵜 来 て つ ん の め り た る 春 の 泥
地 図 に 辿 る 父 の 一 生 花 大 根
空 の 地 図 し か と 持 ち し か 鶴 帰 る
母 の 日 の 金 の 指 輪 や 折 紙 で
春 泥
春泥の頃は里が活気づく季節のひとつである。
普賢岳に僅かに残雪が見える中あちこちで耕転機が動き出すと、
俄に道路の様子が変わってくる。ふだんは舗装されたきれいな道
に、泥の塊が容赦なくぼとぼと、点々と転がり、へばりつき、そ
こに足跡がついたり轍ができたり…。少し白く乾いても、またす
ぐ新しいのが乗っかるのである。
田畑から耕転機や軽トラや長靴が運んできた春の泥、よく見れ
ば、猫車やリヤカーが頑張ったらしい泥跡や子どもや犬がさんざ
ん遊び散らしたに違いない痕跡もあって、 この道も一日を一生懸
命過ごした証のようにも思えてくる。泥には緑も目立つ。草の芽
やホトケノザ、イヌフグリなどがぺ っしゃんこにされたまま伸び
ていたり、花を咲かせていたりする。春を迎えた喜びはこんな所
にもある。
しかしである。小さな私の畑で今日も春の泥に長靴をかっぽん
かっぽんいわせていると、放射能に汚染されてしまったフクシマ
大地のことが、 三月十一日のことが、 しきりに思い出される。
痛みと怒りが沸き起こる。
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