
俳句とエッセー㉘『 海山村Ⅱ - 奮戦の跡 - 翁塚 』 津 田 緋 沙 子
奮 戦 の 跡
台 風 と 奮 戦 の 跡 鬼 瓦
す ん な り と 持 て ぬ 海 鼠 の 網 袋
売 り 上 手 笑 ひ づ か れ の 酉 の 市
た こ や き で ほ か ほ か 祝 ふ 七 五 三
七 五 三 記 念 登 山 の 大 家 族
タ 時 雨 山 河 消 し ゆ く 芭 蕉 の 忌
芭 蕉 忌 や 枯 野 の 空 の 太 白 星
翁 塚
さ ざ 波 や 風 の か ふ り の 相 拍 子 翁
わが町にも松尾芭蕉の句碑があると知ったのは去年の今頃であ
る。 「翁塚」 の名を気にもとめず訪れた旧深海村塩屋崎観音堂。
その境内の一角に、小さな塚を持つ句碑が雲仙岳の見える海に向
かって建っていた。 ここは多良岳の熔岩が流れ出して有明海へ突
き出した断崖絶壁。かつては鷲の飛び立つような老松が一面を覆
っていたという。
郷土史に「深海村は江戸時代から風雅の人多く、鍬を手にしつ
つ俳句を詠じた」 の一節がある。長崎深堀藩の飛地で下級武士た
ちの郷は諌早一撲の舞台ともなったが、観音堂は句座の場でもあ
ったらしい。
この風雅は連綿と続き明治中期以降の諌早俳壇を背負った荒川
一々を生んだ。彼の師桐子園竹外は芭蕉の孫弟子であったとか。
荒木一々は三十二歳の時「奥の細道」に感動し自らも奥州を巡遊、
芭蕉の歩いた道を辿りながら多数作句している。
翁塚の前に立ち故里の先人たちを思うと「風のかふりの相拍子」
が涼やかに聞こえてくる気がする。 (了)
諫早出身の日本浪漫派の詩人・伊東静雄の青春の苦悩を綴りました。ご一読いただければと思います。
下記に、これまで公開した津田緋沙子さんの俳句とエッセーをまとめましたので、ご一読いただければと思います。
よろしければ、諫早湾を舞台にした小説をお読みください。