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文字の複製──活字と書

國學院大學の「文字表現文化論Ⅱ」では、手書きの文字に対して明朝体活字が与えた大きな不可逆で美学的な変化を大きなテーマとしているが、その授業の梗概の一部を公開する。



ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』を参照しながら文字について考えてみよう。
15世紀にヨーロッパでは金属活字が発明されたが、先行して中国や朝鮮でも活字の試みが行われた形跡もある。日本でも木活字印刷が15世紀末に行われたことがある。
もともと文字は言葉と同じく、誰のものでもなく、その意味では唯一無二のものではありえず、移動・反復・複製されなければそもそも文字ということはできない。
しかし、文字が人格あるいは面前の人間と結びつけられた時(「文字は人なり」)、そこにおいて「真正性」が問題になってくる。つまり、とくに文字の「美」の真正性はいわばその「発言源」(哲学者オースティンは『言語と行為』のなかで、言語行為が書き文字においても論じられるには、その発言源、ひいては「署名」が問題になるだろうと述べている)というべきものが根拠になっている。手書きの文字はそれそのものがしばしば「署名」としてみなされるように、文字において真正性は発言源、つまりその書き手に属していること、属人性を根拠にしている。
「(この)人がかつて書いた」から人は文字を信じるのである。
一方で、書かれた文字を複製することも、古くから行われてきた。古くは写本、双鉤填墨(籠字を取ること)、臨書などがあり、そして文字の複製を作るためには印章、拓本と法帖、木版による印刷、近代以降には謄写版、カーボンコピーなどの方法があり、現在では写真、スキャンなどの方法もある。文字を複製することはもともと、中国でもヨーロッパでも宗教的な動機が基盤にあると思われるが、加えてそこには、テクストとして複製すること(筆写・写本)と、さらには美的な意識である書跡を複製すること(模写・臨書)の二つのあり方がともに含まれている。
写真の段階において、書のにじみやかすれといった情報もともに複製されるに至った。しかし、写真においてはやはり一回性・唯一性の現前性といったアウラ、そしてそれを構成している墨や紙の質感といった情報も属人性から切り離されてほぼ失われてしまう。

またさらに、活字の段階においては一回一回書かれる文字は均質化されてしまうから、その意味では手書き文字のアウラは二重三重に失われていることになる。文字の書きぶりや個性、属人性は活字にとってはむしろ邪魔なのである。

社会に流通する文字をできるだけ共通のものとしようとすること(公準化)という契機もある。中国ではおよそ7世紀以降、日本では近代以降、楷書が「公準書体」となった。機械化されるためにも文字は公準化されていなければならない。畢昇による泥活字(遺品は残っていない)、宋版などの木版印刷、朝鮮の金属活字などには、文字そのもの美的な複製ではなく、文字をできるだけ「公準化」された文字(楷書)によってテクストを複製化することに実際上の目的があったと言えるだろう。近世日本での「嵯峨本」などの連綿活字を含む木活字の試みはあるが、これはむしろ美的・工芸的な動機が強く、「公準化」を目的とした書物とは異なっている。
こうした公準化された文字は「読む」ための文字で、その意味では仮にそうした文字が社会に普及したといっても、誰もがその文字を使って文章を書いていたわけではない(近世に御家流が木版印刷に使われ、また多くの人々が御家流を書いていた近世日本では「読む文字」と「書く文字」がおおよそ一致していたとはいえる)。
近代以降の日本でも多くの人びとが日常的に行草体を書いていたはずだし、「読む文字」は「書く文字」ではなかった。金属活字と印刷機を個人で揃えておくことは、難しかったに違いないし、戦後になって写真植字の技術が開発されても、たとえば年賀状を印刷しようとすれば専門の業者に依頼して文字を印刷・出力してもらなければならなかった。
ひるがえって、現在のスマートフォンによる文字は「書く文字」と「読む文字」がほぼ一致しているようにも見える。

このようにして、文字はもともとの本性によって唯一性(属人性)と複数性(反復性)が複雑に絡み合っているといえる。しかし、写真術によって書・文字からアウラが失われてしまった、少なくとも変質したのは確かだろう。しかし、手書き文字は(書)の美学は新しい局面を獲得した。ベンヤミンは


…芸術生産における真正性の尺度がこうして無力になれば、その瞬間に芸術の社会的機能は総体的に変革される。
芸術が危機を感知したとき、芸術は芸術のための芸術という教義を編み出すことで反応した…。儀式を根拠とする代わりに、芸術は別の実践を、つまり政治を…根拠とするようになる。

とも述べている。この「政治」は観客に対する美学的な訓育とでもいう意味だろうか。書は明朝体活字によって「芸術」となったのである。そして、明朝体をその支持体とする近代文学においては、アウラが崩壊して芸術の価値が変質してしまうばかりではなかった。


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