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「源氏物語」、手習と内言
1-1 『源氏物語』と仮名書
1-1-1 『源氏物語』と書
『紫式部日記』の寛弘5(1008)年の項に藤原公任が「この辺りに若紫や候ふ」と式部に戯れる場面があり、また彰子のもとで書写作業が始められているから、『源氏物語』が宮中で広く読まれていたことがわかる。
物語の時代設定は「古今和歌集」を編纂させた醍醐天皇・村上天皇の御代、10世紀初頭とされる。
当時、すでに平仮名が書かれ始めていた。その後、平仮名の表現が完成・洗練されていった時代とぴったりと同時代であったとはいえないにしても、それまでの漢字書に比べて仮名書を新しい文字表現として称賛する美意識を共通して持っていただろうと推測される。
主な読者は中宮や女房たちだった。都だけでも200~300人の女房が存在していたいう。『紫式部日記』には藤原道長が『源氏物語』の草稿を盗み出したという挿話が記されている。
『源氏物語』では、書(手紙)が多く話題になっているが(約100か所)、それは物語を推進する力であり、仮名書が新鮮で美しいという当時の美意識があったことを示すばかりではなく、さらに王朝社会において、書が人間関係の重要な契機であったことが窺える。手紙を媒介にした男女の交際において、仮名書の手紙の書きぶりが、女性の美質と結びつけられて語られる場面が非常に多い。
仮名書の流動感のある書きぶりが、エロティシズム、そしてその消え入りそうな線が無常観(本居宣長が「源氏物語」の本質として語った「もののあはれ」)の美学と重ねあわせられている。
1-1-2 書が登場する代表的な場面…
左馬の頭「文を書けどおほどかに言選りをし、墨つきほのかに心もとなく思はせつつ…」(手紙を書くにもおっとりと言葉を選び、墨色もほんのりと相手に気をもませては…。雨夜の品定め「帚木」)★
「手習、絵などさまざまに…」「教えきこへむべし」「ことさら幼く書きなしたまへるも、いみじうをかしげなれば、やがて御手本に…」(源氏が紫の上を理想の女性に育てようと書を教える「若紫」)
→「一つには、御手を習ひ給へ。次には、琴の御琴を、人よりことに弾きまさらむとおぼせ。さては、古今の歌二十巻を皆うかべさせ給ふを、御学問にはせさせ給へ。」(「枕草子」第20段)
「手は…上下ひとしく書いたまへり。見るかひなう…」(源氏は末摘花の手紙に失望する「末摘花」)★
→散らし書きの新鮮な美しさ
「草にも真字にもさまざまめづらしきさまに書きまぜたまへり…かしこの御手や」(左大臣が仮名も漢字も自在に書き分ける源氏の書に感嘆する「葵」)★
→「草」:草仮名 「真字」:漢字
「手のさま書きたるさまなど、やむごとなき人におとるまじう」(明石の君に筆跡に感心する「明石」)
「…とのみほのかなり。手は、はかなだちて、よろぼはしけれど、あてはかにて口惜しからねば」(玉鬘からの返信が上品だったので源氏が安堵する「玉鬘」)
「硯引き寄せたまうて、手習に…」(源氏が手すさびに和歌を書く「玉鬘」)
「ゆゑある書きざまなり。ことごとしく草がちにもざれ書かず…」(明石の上の筆跡が気取っていないことに感心する「初音」)
「いと草がちに、怒れる手の、その筋とも漂いたる書きざまも、下長に…」(近江の君の拙劣な筆跡「常夏」)
「古代なる御文書きなれど、いたしや」(三条の宮の年老いた筆跡を嘆く「行幸」)
「仮名文見たまふるは目の暇いりて」(漢文を読みなれた目には仮名の手紙は読みにくい「若菜」)
「手習などするにも、おのづから古言も、物思はしき筋のみ書かるるを、さらばわが身は思ふことあり…」(紫の上の手習「若菜」)
「死出での山越にし人を慕ふとて跡を見つつもなほ惑ふかな」「かきあつめ見るもかひなし藻塩草同じ雲居の煙となれ」(亡くなった紫の上の筆跡を見て嘆く源氏。その手紙を見るのがつらいので、焼いてしまう「幻」/「竹取物語」にも同様の場面がある)★
→「かひ(貝)」「煙」「藻塩草(筆跡)」は縁語。
中の君「手はいとあしうて、歌はわざとがましくひき放ちてぞ書きたる…さしも思さぬなめりと見ゆる言の葉を好ましげに書きつくしたまへる人の御文よりはこよなく目とまりて」(阿闍梨の筆跡は悪筆で連綿しておらず一字一字放して書いてあるが、それほど深くは思ってくれないのに美しく書いてある匂宮の手紙よりはかえって好ましく中の君の目に映る「早蕨」)★
1-1-3 源氏の仮名についての美意識
左馬の頭「まことの筋を細やかに書きえたるは、うはべの筆消えて見ゆれど…なほ実になむよりける」(「帚木」)…本当の筆法を丁寧に書いたものは、表面的なうまさはないようだが、やはり丁寧に書いた筆跡の方が優れている…
源氏「よろづのこと、昔には劣りざまに、浅くなりゆく世の末なれど、仮名のみなむ、今の世はいと際なくなりたる。古き跡は、定まれるやうにはあれど、広き心ゆたかならず、一筋に通ひてなむありける」(「梅枝」)★
…万事が昔に劣りぎみで、浅薄になっていく末世だけれど、仮名の書だけは、今の世は際限なく見事になったものです。昔の人の筆跡は、定まった書法ではあるが、ゆったりした気持ちが豊かに出ていないで、一つの型にはまってしまっています…(明石姫君の入内の調度品として冊子を製作する場面、中野幸一訳)
ここで源氏らは、格式ばった漢字の書より、表音的=聴覚的な(語りかけるような)仮名のあり方、またその線の抑揚などによって、人の情緒を直接に表現しうる仮名の書の新しさ、同時に相手の人格を偲ばせるような、情感を感じさせる筆跡を評価している。
1-2 「手習」と「書くこと」
「源氏物語」で、もう一つ注目したいのは、特に後半の「宇治十帖」(「浮舟」「手習」巻を含む)に頻繁に出てくる「手習」という行為である。「手習」は本居宣長による源氏物語の注釈書「玉の小櫛」によると、習字のみを言うのではなく、「心にうかぶ事をなんとなく書きすさぶをいふ」であり、物思いにふける時などに思い浮かんだ古歌の断片などを聞き散らす、はっきりと人に見せることを目的としない、ある意味では独白のような行為を指していた。自分の内面をのぞき込むような「書くこと」。こうした自省的な断片が日記文学に発展していくという説もある。
吉野瑞恵は仮名散文と和歌の密接な関わりにおいて、「手習」の「「むぞうさに歌などを書く」行為」は、「自らの心の中を見つめるような『蜻蛉日記』」などの「日記文学にもつながる要素を持っているのではないだろうか」とも推定している。「漠然とかたちにならない感情が表現主体の中にあって、それが身体に刻みこまれた古歌の言葉になって形を得て、はじめて表現主体に意識されるという過程」があり、「浮舟は歌の中にことばとして現れてくる自己の姿を見つめるべく、手習歌を書きつける。……それは浮舟自身にとっても無意識の領域に存在している」(吉野瑞恵『王朝文学の生成』)。つまり、手習は精神分析にも似た「治療」の契機すら帯びていた。
1-2-1 孤独な「手習」
薄幸の女君・浮舟は匂宮と薫の間に挟まれて苦悩し、入水自殺を遂げようとするが、助けられた浮舟は、情けない身の上を嘆き、孤独に「手習」を繰り返す。
「「木幡の里に馬はあれど」など、あやしき硯召し出でて、手習ひたまふ。…「降り乱れみぎはに凍る雪よりも中空にてぞ我は消ぬべき」と書き消ちたり。この「中空」をとがめたまふ。「げに、憎くも書きてけるかな」と、恥づかしくて引き破りつ」(浮舟が歌を書きかけてやめてしまう。これを見た匂宮に歌の言葉「中空」(匂宮と薫の間で迷っていることを暗に指す)をとがめられて破ってしまう)「浮舟」
「むつかしき反故など破りて……はかなくし集めたまへる手習などを破りたまふなり……」(入水を決意してこれまで書いた手習を処分する)「浮舟」
「我ながら口惜しければ手習に「身を投げし涙の川のはやき瀬をしがらみかけて誰かとどめし」思ひの外に心憂ければ……」(入水を止められたことを嘆く)「手習」
「思ふ事を人に言ひ続けむ言の葉は、もとよりはかばかしからぬ身を、まいて懐かしうことわるべき人さへなければ、ただ硯に向かひて思ひ余る折は、手習をのみたけき事にて書きつけたまふ」(自分の思いを人に話し続けるような言葉はあまりよく出てこない身で、まして親しく分かり合える人さえいないので……)「同」
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浮舟による「手習」は、研究者によってさまざまに論じられ、「自閉的な読詠」(高田裕彦)、「自身に伝達する」(山田利博)など、自らが自らへ向かって「書くことが心をあかす」(藤井貞和)行為として捉えられる一方、「他者の視線を希求する開かれた営み」(小西美来)として読み解こうとする立場もある。こうした多様な読解は、浮舟の手習が、まるで水に浮かぶ小舟のように独白と自己表出の間を揺れる文字=言葉のありようを象徴しているからだろう。
「源氏物語」の浮舟による「手習」は、他者と共有できず、コミュニケーションとして遂行されることは多くない。
1-2-2 「手習」と「内言」
こうした言葉の状態は誰にでも起こっているものだろう。この手習を別の視点から理解するために、ソヴィエトの心理学者レフ・ヴィゴツキーの提唱した概念「内言」とともに考えてみたい。「内言」は、子どもの言語の発達段階の観察を通じて得られた概念で、「他者に向けられたことば(外言、対他的なことば)とは区別される自己に向けられたことば(対自的なことば)」(神谷栄司)として定義される。内言は発音されることなく、述語のみであることがしばしばで、極端に縮減されることが多い一方、意味が独自に拡大されることもある。ヴィゴツキーはこの「言葉の内と外」における相互的で動的な過程について考察している。
子どもの言語の発達段階では、遊んでいるときなど独り言が頻繁に繰り返されることが知られる。独り言は「自己という他者」に向けられているが、これに対して、「言葉」として位置づけられるものの、内言は発音されない。そして、ヴィゴツキーは発生的には、
〈外言(社会的なことば)─自己中心的な言葉(独り言)─内言(発音されない自己のための言葉)─言葉を媒介にした思惟〉
という段階をたどるのだとしている。
ところが、実際の言語活動の中ではこの過程は逆転される。つまり、
〈心的動機─思惟と言葉が互いに媒介しながら内言を生み出す─そしてその自己に向けられた言葉が社会的な他者に向けて再構造化されながら外言として思惟の遂行として発語される〉
というプロセスを取る。この二つの過程は逆行あるいは循環しながら、複雑に変化しながら行われる。
1-2-3 「未満のエクリチュール」
このように考えてくると、「他者に開示することはないものの文字を書く=手習」は、「語を発音することなしに言葉を想起する(内言)」とは異なる行為ではあるが、「内字」「内書」とでもいうべく、内言的な構造と似通っているのではないか。「心のうちにこめてのみは、過ごしがたくて、かならず人にもかたり、又物に書きあらはしても、見せまほしくおもはるるものにして……」(本居宣長「玉の小櫛」)という欲望を伴いながら、外的に遂行されることはない、という不安定な状態である(新約聖書ヨハネ福音書でイエスが地面に何かを書きつけていた、という場面を想起させる)。言葉は交換されるためにあるとすると、手習の言葉は、まるで「言葉の幽霊」とでもいうべきかもしれない。
さらに、興味深いのは、浮舟の手習は歌のかたちをとることである。内言で呼び出される断片的な言葉は、必ずしも思惟・心的動機と一致しているわけでもなく、すでにして社会的な言葉、それも歌ことばである。つまり、少なくとも平安の和歌・物語文学においては、心的動機あるいは思惟は、はな、はる、さく、ちる……といった歌語の網目に媒介されている──言ってみれば歌語に汚染されている──ということを示しているのではないだろうか。さらにそれは表音的な仮名を書くことでなされる(といいながらもそれは内言的である)。
そしてそのような浮舟の内言の「未満のエクリチュール(書くこと)」は、たんに浮舟の個人的な無意識のありようを越えて、「源氏物語」が書かれた女房社会の集団的な(読者でありながら朗読・写本行為を通じて物語に参加しようとする)欲望・想像力と結びついている。
「享受者すなわち読者が、制作者すなわち作者の立場に立って本文を補い、作品世界をさらに拡大深化させようととすること」(片桐洋一『平安文学の本文は動く』)、つまり「物語はこのようにあってほしい」という欲望と創造力を体現しているのかもしれない。
ちなみにこうした写本行為が『源氏物語』の本文のさまざまな異本を作り出した。
その意味で、「手習」に逃避しているばかりの浮舟はしばしば運命に翻弄される「受動的な人物」と評されるが、、むしろそのことによって彼女が「書くこと」の特殊な位相を体現する最重要人物であることを示している。
主な参考文献:
小松茂美編『日本書道辞典』(二玄社)
井垣清明ほか編著『書の総合事典』(柏書房)
秋山虔編『王朝語辞典』(東京大学出版会)
『ユリイカ』2020.2月号 特集=書体の世界(古賀弘幸「書体のためのランダムノート」含む、青土社)
古賀弘幸『書のひみつ』(朝日出版社)
中野幸一訳『正訳源氏物語』(勉誠出版)
駒井鵞静『源氏物語とかな書道』(雄山閣)
伊井春樹『人がつなぐ源氏物語』(朝日新聞出版)
片桐洋一『平安文学の本文は動く』(和泉書院)
『青表紙本源氏物語 浮舟』(新典社)
ヴィゴツキー、ポラン『言葉の内と外』(三学出版)
ファニーハフ『おしゃべりな脳の研究』(みすず書房)
渡邊泰明『和歌とは何か』(岩波新書)
吉野樹紀『古代の和歌言説』(翰林書房)