「日本型経営」を再考し、再興せよ 〜海外の表層をなぞるのではなく、本質を追求する姿勢を持て
戦後の焼け野原からの復興は、当然のことながら急激な市場成長が伴った。頑張れば成果が出る。成果が出るから頑張れる。その好循環に真面目にモーレツに働く日本人の気質が、日本を「Japan as No.1」へと押し上げた。
ジャパンバッシングを経てバブルが崩壊した日本企業は、それと時を同じくして三種の神器(終身雇用、年功序列、労働組合)を破壊し、失われた30年に陥った。
落ちていく日本と上がっていく米国。その対比から米国への憧れを加速させ、米国でうまくいっているものを本質を理解せずに、表層だけなぞって日本の破壊を繰り返した。大企業もスタートアップも問わず、いまだに米国を盲目的に崇拝する人は跋扈している。
例えば、成果主義。雇用の流動性が高く、一人ひとりが自分のキャリアを真剣に考えており、組織においては役割が定義されて人が雇用され、ゴールが明確に示されている米国ではうまくハマっている。
しかし日本では雇用の流動性が低く、自分のキャリアを会社の中でしか考えない(考えていない)人が多く、人に仕事をつけるマネジメントで、ゴールではなく業務を割り振る。そこへ来て減点方式の評価制度だ。成果主義を導入すれば、果敢な挑戦をしないことの方がインセンティブが高くなることは火を見るより明らかだ。
最近では「デザイン思考」を本質を理解もせずに表層だけなぞっている人の多いこと多いこと。デザイン思考を売る側が表層だけを型にし、買う側も型になっていれば考えずに済むから安易に導入する。その結果、本質的なイノベーションなど起こるはずもなく、デザイン思考バブルで一部界隈の詐欺まがいの人たちだけが儲かる。
もちろん「日本型経営」と一言で言っても企業も市場も文化も違えば、企業ごとにあるべき経営の姿は異なる。大事なことは、問題を単純化して海外と比較しても答えは見えない、そこに答えはない、ということだ。
学ぶべきは学ぶ。真似ぶべきは真似ぶ。しかしそれは表層をなぞって楽することではない。表層をなぞっても得られるものなどない。
経営に真摯に向き合い、僕らの文化や気質にあった新たな日本型経営をしっかり模索すべきだ。
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