2023年6月16日のこと

平凡な日常を書き始めて3日目。三日坊主にならなければいいけど。

大雨の後の透き通るような早朝だった。ランニングには最高の時間だった。いつものコースを2周走った。約5.7 km走ったようだ。しばらくグズついた天気が続いたためか、今朝はランニングしている人が多かった気がする。3月に新しく購入したランニングシューズを履き、水曜日に買ったばかりのランニングウェアとスポーツソックスに身を包んで走る。新しい靴下の感覚が気持ち良い。「こういうちょっとしたことが割り合いに大切なのよ」とは、笠原メイの言葉。ちょっとしたことを疎かにする生活が続き過ぎていた。

我が家のあまり日当たりの良くない庭に雑草が茂っている。いつの間にか雑草たちが育っている。「ちょっとしたこと」に気がつかない生活を続けた跡なのだろう。

今朝は仕事前に、割り合いに生活を整えることに時間をかけた。リビングの窓をふき、網戸を拭いた。網戸の掃除をしたのは何ヶ月ぶりだろう。去年の夏から季節をひと回りした網戸の汚れは、自分が思っていたよりも酷かった。リビングの網戸を掃除すると、次は仕事部屋の網戸を拭いた。こっちはもっと酷い状況だった。住み始めて10年近く経つけど(そうか、もう10年近く今の街に住んでいるのか)、初めて掃除した網戸は恐ろしい状況だった。掃除する前は全然気がつかなかったけど、掃除したあとでは見える世界が全く違う。掃除自体は10分くらいのものだけど、この10分間を生み出せるかどうかが、丁寧な生活をできるかどうかの境目。たったの10分間だけど、そこには永遠にも思える時間が横たわっている。

天気があまりにも良いので、布団を干した。布団を干したのも何ヶ月ぶりだろう。仕事に偏る生活だったんだな。自分はいなくなっても仕事は進む。このことを忘れてはいけない。でも、父親は一人しかいない。何を優先するかの前に、そもそも比較することができない。一次元と二次元のモノを比較するようなものだな。仕事ばかりしていると、庭の雑草みたいに見えるモノが見えなくなってしまうのだ。そのことはとても恐ろしいし、今の自分は、父親として見るべきもの、聴くべきものをちゃんと見ているのだろうか。聴いているのだろうか。

次男が学童から持ち帰ってきたPCは誰か別のお子さんのものだったようだ。偶然にもその子の名前は「メイ」だった。そんな偶然があるのだな。すぐに学童に持っていって、次男が本来持ち帰るべきだったPCを受け取った。

今は手元に読む本がないので、「ねじまき鳥クロニクル」をもう一度読んでいる。図書館の予約リストはいっぱいで、これ以上予約することができない。図書館の文庫コーナーと小説コーナーを一巡りして図書館をでた。

お昼は駅近くの食堂で、サバ焼き定食にした。前回行った時にサバ焼き定食にしていた人がいたからだった。帰りに家電量販店に寄り、次男が欲しがっていたビーズを購入した。ついでに次男の自転車につけるライトを買った。僕が行動している範囲は、定食屋、図書館、家電量販店くらいしかないみたいだ。それでだけでも自分は満足できる気がする。

明日は山梨まで出掛けてさくらんぼ狩りをする。さくらんぼ狩りは子供が生まれる前から毎年行っている。仕事の合間にちょっと立ち寄ったのがきっかけだけど、子供が生まれてからも毎年通っている。さくらんぼは小さいのでいろんな種類を食べ比べできることが楽しい。明日の天気も晴れ。もし明日も日記を書くことができれば、きっとさくらんぼ狩りの記事を書くことになるのだろう。


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