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【イトログ_007】 マウリシオのこと

※この記事は2016.03.18に書かれたものです


僕が産地に通い始めた10年前から、ずっと仲がいいひとりの友人がいる。

名前はマウリシオといって、ニカラグアの中でも特に標高の高いモソンテと呼ばれる地域に農園を持っている、比較的若いコーヒー農家だった。

2011年、初めてコーヒー産地に行った僕は農園へ向かう道中の町で彼に会った。

すでに顔なじみの他のメンバーと仲がよさそうに話す彼は、その時着ていた黄色のタンクトップの影響からかどこか陽気で明るい性格に見えたのを今でも良く覚えている。

彼の同行でセロ・デル・シエロ農園へ連れて行ってもらい、彼の案内で農園内を周り、標高が高く景色が美しいこの農園でたくさんの写真を撮った。

最初のイメージ通り彼はとても明るい性格で、誰にでも人懐っこくすぐに仲良しになってしまう不思議な魅力があり、僕らが友だちになるのにさほど時間はかからなかった。

彼がたった一人で開拓したセロ・デル・シエロ農園は川を何本も渡って行くような山奥にあって、いくつもの困難を乗り越えながらこの地で地道にコーヒー作りを続けてきた彼はいつも良い顔で笑っていた。

セロ・デル・シエロ農園で採れたコーヒーにもそんな彼の性格が表れていて、明るい活き活きとした純粋な風味がいつも僕たちを虜にした。


日本に帰国してからもインターネットを通じて彼とはよく連絡をとっていて、仕事のこと、コーヒーのこと、そしてお互いの家族のことを、時間を見つけては僕らは教えあった。

彼はもちろん、彼の奥さんや娘のメナちゃんとも交流が広がって、毎年僕らが農園を訪問する時にはメナちゃんも一緒についてきたりもしていた。

そのうちに、メナちゃんは「いずれ私がお父さんの農園を継ぐの。だからその時にはあなたの子どもが来るといいわ」と、そんな素晴らしい将来を話してくれたりもした。

コーヒー農園は農園主と労働者が違う場合があって、農園主は直接的な作業はあまりせずに農園のマネージメントや他国からのバイヤーとの取引を行っていることが多い。

しかし、マウリシオはいわゆる小農家で、設備も昔ながらの最低限のものを使っていて、農園内で働く労働者と一緒に彼自身もコーヒー生産に直接携わっていた。

重労働が続く農園内の作業は彼にはとても負担が大きかったようで、少し前から腰や背中の調子が悪いと言っていたのを覚えている。


2015年の買い付けの後、マウリシオが農園を売りに出していると一緒に買い付けをしている仲間から情報が入った。

僕にはとても信じられず、すぐに彼にコンタクトをとった。

彼は「本当は売りたくないが体の調子が思わしくなく農園を継続できない」と悔しそうに教えてくれた。他にも少し理由があるようだった。

その後、いろいろな可能性を彼も模索したようだが、結果的に農園運営のリタイアを免れなかった。

娘のメナちゃんもまだ中学生だし、彼自身がそれで身体を壊したからだろう、農園を継がせる選択はしなかったようだ。

お店のお客様には業務的にお知らせはしたものの、僕自身、すぐには気持ちの整理がつかず、彼のコーヒーが飲めなくなってしまうことに実感を得られるまでにしばらく時間がかかった。

農園が他の生産者の手に渡って、その人と新しく取引を始めることも可能かもしれない。

それでも、もう『彼のコーヒー』ではないのだ。

僕が大好きだったセロ・デル・シエロはマウリシオのコーヒーであって、たとえ同じ味だったとしてもそれは僕にとって別のコーヒーなのだ。


ひとつ安心できたことは、彼や彼の家族とはコーヒー農家とバイヤーという関係性を飛び越えて大切な友人として今でも関係が続いている。

毎年のニカラグア訪問でも必ずと言っていいほどホテルまで会いに来てくれ、一緒に食事したり日本のスタッフにテレビ電話をしたり、空白を埋めるように一緒の時間を過ごしている。


『美味しい』とは単に味かもしれない。

けれど『美味しさ』とは人の力だと僕は思っている。

人とのつながりの重要性を感じさせてくれる直接買い付けの手段に感謝をしながら、毎年彼に会えるのを楽しみにしている。

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