待つ時間をつくる
僕たちは、どれくらい「待つ」という時間を持っているか。
生活における「待つ時間」はスマホに奪われているんじゃないか。
ぼくの「待つ時間」はここ数年でかなり減った。
電車を待っているときも、目的の駅へ向かっている間もオンラインでいられる。SNSをひらけば、必ず誰かの投稿が更新されている。いま読んでいる本の中に、「情報の爆発」というのが書かれているが、私たちはじつに様々なチャネルから情報を摂取している。
待つ時間が減ったことを悲観している、というわけではなくて。朝7時のスターバックスでこのnoteを書いているんだけど、ぼーっと窓から晴れて気持ちのいい外を眺めながら、ふとそんなことを考えた。
ぼくの日常で“待つ”時間は、コーヒーを淹れているとき。
豆を10g挽いて、ドリップパックに入れる。少しトントン、として表面を平らにしたらそこにお湯を少し注ぐ。蒸らしの時間だ。この時の香りがすごくいい。コーヒーを自分でドリップする人の役得は間違いなくここだと思う。
そして、そこから3分かけてゆっくりお湯を落としていく......
おそらく、この4〜5分がぼくの生活のなかで「待つ時間」だと思う。
その時間はゆっくりと流れ、嫌いじゃない。というより(改めて考えてみると)、むしろ好きだなあと感じる。待つというのも悪くない気がする。
待つ時間から生まれるものってなんだろう。
待つ時間が失われることのデメリットってなんだろう。
何かありそうで、ぱっと見つからないので、今日考えてみる。
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