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自分の子どもと、友達の子どもとの違いのようなもの

幼い頃から、お花が好き。
育った家の庭には、薔薇や紫陽花や彼岸花や、いつでも季節の花が咲いていた。

小学校1年生で初めて「係」を決めた時は
「はなのみずがかり」を選んだ。
人生で初めてついた役職。
人気は「けいじがかり」だった。間違いなく言葉の響きで。
「掲示」なんだけどね。「刑事」じゃなくて。

そんな私も大人になり、
東京の一人暮らしの家には庭はないので、
お花屋さんで毎週のように花を買う。

今までは家に寝に帰るだけだったので、
お花というものは「昨日までは蕾だったのに!もう満開!」
と、見るたびに違う姿だった。

ステイホーム期間の今。
常に目の前にいるお花は、じわじわといつの間にか成長している。
一緒にいると変化に気付きにくいのだ。

これは、友達の子どもは会うたびに成長してて驚くけれど、
自分の子どもはいつの間にか成長しているのと同じ現象。

いや、私には子どもはいなので、
そうなんじゃないか?という仮説。

たまに会うと、両親が老けててびっくりするけど、
毎日会う会社の人の変化には気づかない。

うん。これは検証済み。

というわけで、
近くにいる大切な人の変化に気付ける私でいたいし、
遠くにいる大切な人は、変わりすぎる前に会いたい。

今日も私の50センチの距離にいる芍薬は綺麗だ。
枯れてきているけれど、それもいとおかし。

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