そもそも当流念仏者のなかにひて、諸法を誹謗すべからず。
学校が休業になって、ムスメと一緒の生活が続いています。
自宅で仕事というか、作業というか、何をもってリモートワークなのか、ということはさておき。。。
いろいろ議論はあるでしょうが、私の場合は、ずっと一緒にいることで、ムスメの成長を感じ、ムスメを通じて、親になった責任と嬉しさのようなものを、日々感じることができました。
買ってきたドリルをしたり、絵を書いたり、Amazonの空き箱で工作をしたり。。。ムスメも自分が退屈しないように、工夫をして過ごしています。
Eテレ(NHK教育テレビ)をつけっぱなしにしていますと、他の学年のコンテンツや、自分が今学んでいる先の学びに気がついたようです。それをそばで見ている私も、追体験というか、あらためて学ぶ楽しさを感じています。昨日たまたま見た、高校の「簿記」は、大人も必見ですね。オンデマンドで過去のコンテンツもあるので、早速復習します。
時報またぎに、各番組の出演者が踊る、「パプリカ」が流れていました。学校の中休み(2限と3限の間の、ちょっと長めの休み時間)と同じ感じですね。ムスメに聞くと、学校でもCDをかけて、クラスで踊っているようです。
歌詞の中に、
「ハレルヤ 夢を描いたなら 心遊ばせ あなたにとどけ」
とあります。
「『ハレルヤ』って、キリスト教の、神をほめたたえ、神の恵みに感謝する、ヘブライ語由来の言葉、だよねぇ。。。」と思いつつ、ムスメが曲に合わせて楽しく踊っているのを見てました。
3.11以降、事あるごとに出てくる「絆」という語源が、家畜をつなぐ「鎖」であることをわかって、使ってる人なんてほとんどいないわけですし。。。
それと同時に、蓮如上人の『御文章』の中の一節を思い出しました。
「諸神・諸仏・菩薩をも、をろそかにすべからず。これみな、南無阿弥陀仏の六字のうちにこもれるゆへなり。ことに、ほかには王法をもておもてとし、内心には他力の信心をふかくたくはえて、世間の仁義をもて、本とすべし。(諸々の神仏や菩薩も、おろそかにしてはいけません。これはみな、南無阿弥陀仏の中にこもっている方々だからです。とりわけ、社会の法律を守り、心のなかでは他力(阿弥陀仏)の信心をいただき、世間の道徳に従うことも必要です。)」
いろんな価値観と、同じ時代・時間を「共有」し「共存」することを大切にしたからこそ、800年も続いているということでしょう。その長い「今」の連続の中に、自分が生き、生かされているということでもありますね。
このたびのウイルスへの対応についても、いろいろ意見がぶつかり合ってます。それぞれの正義と正解がありますね。報道なんて所詮、(『 )と( 』)の間にあるものですから、その『』の外、カメラのフレームや記事の「外」でおこっていることは、伝わらないわけでして。。。そんなことに一喜一憂しているのが、私を含めた人間。そして、例年に比べ、風邪やインフルエンザにかかる人が極端に減った=手洗いがいちばんの対策、という「シンプル」なところに、大事なことがあったということですね。
カメラでいうところの、自分の「画角」と「焦点」を変えて、穏やかに過ごすことが、ぐるっと回って、社会を穏やかにするような気がします。