なんか、悲しくて、切ない。
この事件に関して、実はあまり話したくない。
わたしたちの住んでいる世界とは真逆の世界が存在していて、
考えること、実行すること、作用すら真逆の効果になってしまう。
この二つの世界は日常、遠く離れた場所にいて近づいていくこともなく、
ましてや交わることもないけれど、ある日突然交わってしまうと、
「不幸」を巻き込んで様々な感情を生み出して、大変なことになる。
「不幸」を巻き込んで大変なことになる度具合は何によって
変化するのだろうか?
平時の知らない間に積もり積もった「思い上がり」や
「傲慢」によって大変なことの度具合が変化するのかもしれない。
この状態にまた別のところで起きている「挫折」や「絶望」によって
生じた「ゆがんだ感情」が掛け算になって作用したらどうなるのだろう?
そして、「作用したもの」が不幸を呼びに呼んで、たくさんの人が
悲しまざるを得ない「結果」になった時、どう対処すれば多くの
「たましい」は納得するのだろうか?
この事件はこれらすべての流れにどう対処したらいいのか、
大切な教材になるはずなのに、成功者が持つ特有の傲慢と偏見に
よって、教材が教材でなくなることがとても、とても悲しいのです。
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