心が疲れるということ。
人が嫌い、といえばいいのだろうか。
あるいは人が苦手、といえばいいのだろうか。
要は洗脳されることが嫌い、洗脳されることが苦手、ということ
なのかもしれない。
学校、というか教育というものが洗脳そのものだった、
誰かの都合のいいように自分を変えることが苦手、というか嫌いな
私にとっては毎日が地獄だったけれど、家にも居場所がない、
どこにも逃げ場所がない、本当に苦しかった。
そうなっちゃうと、人間って変な癖がついてしまうもので、
自分が嫌いな、苦手な人の言うことを無理やり受け入れてしまおうとする。
この受け入れる、がうまくいかなくなって、心はどんどん弱っていくのに、
受け入れないと居場所がなくなる、と言わんばかりに自分から泥沼に
はまってしまう。
あと、洗脳する、洗脳されることが大好きな人は「逃げるな」とか
「逃げることは卑怯だ」という言葉をよく使いたがる。
「なにくそ」という言葉も大好きだよな。
今になって思うけれど、洗脳する、洗脳されることが大好きな人が
いう「みんな」とそうじゃない人がいう「みんな」は似ていて違う。
その違いが判らなければ、間違った考え方の癖がついて、
その癖を修正するためには時間がかかりすぎてしまう。
その癖を自覚して、自分の気持ちいい方向を探しながら、
自分の行き過ぎたところを調整していきながらやっていける
今が一番いいのかもしれないけれど。