わたしの見た世界5/9
変な人が隠れている。
溜息しか出ない。
どうして落書きしたい衝動に駆られるのだろう?
薬物依存症が薬を使って脳味噌が馬鹿になったからなのか、
大勢の人に注目してもらいたいという変な自己顕示欲があるのか、
どちらにせよ、そういう危なくて、変な人が世の中に隠れている、
同時に、自分も誰かから別の意味で危なくて、変な人認定されている、
という可能性や危険性がある。
そう考えることが犯罪等の抑止力になるのかもしれない。
まともな人間なんてこの世には誰一人いない、という前提で生きていたら
わたしたちは何を得て、何を失うのだろう。
わたしたちは愚かなのか?
わたしたちはまともにものを考えることが難しい、とは言うけれど、
ここまでものを考えることができないなんて、驚いた。
というか、マスクという存在を「公共」と「非公共」に空間を分けるためのスイッチとして日本人は利用している、という(ずる)賢さを持っている、と言い換えたほうが最適なのかもしれない。
換気の良い、解放された屋外空間ではマスクをつければつけるほど
苦しくなる、ましてや、歩くという軽い運動をしていたら汗でマスクが
うっとうしくなる。
そうならないように周りをよく見て、自分が今どういう状況なのか、
例えば公共の場所に行く途中なのか、公共の場所から帰る途中なのか、
よく見極めて、マスクをしなくていいや、なのかしたほうがいいのか、
という判断ができる余地は残してくれ。
これを願望というのだろう。
欧米白人男性システム下での教育を受けた人間はこういう願望を
隠し持っている、ということがよくわかる記事だ。
要は日本というわけのわからない異者、それも欧米白人男性システムより高い能力を持っているかもしれない異者を排除しておけばずっと勝って
いられる、有利な立場を独占できる。
白人男性システムでしか人間が生きられないようにして、
あとはロボットという新時代の家畜・奴隷に汚いことを押し付ければ済む
ようにしたい、という願望がこの時期からあふれている。
この地球、もうなくなればいいのに。