小倉松山フェリーを思い出す。
この場所は、今も昔も人が集まるところだった。
現在はこうして球技場が建っている場所には30年位前というか
まだ西暦が1900年代後半だったころ、小倉から松山まで行く
フェリーと小倉藍島渡船乗り場だった。
区画整理が入って土地の形は違うけれど、本当は国際会議場より
小倉駅に近いほうの今は駐車場があるところが、というのが
正しいかもしれない。
けれども、自分にとってはこの場所こそが「違った世界」への
入り口だった。
今は障碍者手帳が自分の手元にあるから2等と2等寝台へは半額で
乗ることができるけれど、障害がわからなかった当時の自分は金券ショップ
で当時の運航会社関西汽船の株主優待券を見つけて入手して、松山に
向かい、雨の降る中坊っちゃんスタジアムの内覧会へ行き、大街道を
ふらふらして、奥道後温泉でメニューの少ないバイキングを食べ、
露天風呂につかり、観光港まで戻って帰りの船に乗り、不思議な感覚で
福岡に戻った。
それから、その時は四国リーグ所属だった愛媛FCの試合を見るために
高知大学のグラウンドに出向いた帰り、何とも言えない自然の造形美を
眺めて松山まで行って乗る、行きは小倉から船に乗ってその帰りは
スーパージェットという高速船に乗って広島まで行って、新幹線で帰る、
こういったことが数か月に一回のルーティンとなった。
そんなこんながあって古くて雰囲気のあった松山観光港の乗り場が
少し先のほうに移動して近代的な施設となったと同時に小倉港の乗り場も
少し小倉駅から遠い位置となり、速足で歩いても小倉駅から博多に向かう
一番早い電車に間に合うことができなくなった。
この代わり、と言っては何だが、小倉港フェリー乗り場の入り口まで
福岡天神高速バスターミナルから一往復高速バスが出るようになって、
「何もない暗闇を一人歩くことから派生する恐怖」が少し軽くなった。
けれども、以前の乗り場にはつきものだったお遍路さんバスツアーが
気が付けば少なくなり、そのあおりを受けたのかもしれないけれど、
船の中でちゃんとした料理を食べることができなくなり、
船の案内所で貴重品を封筒に入れて預けてもらうことができなくなった
代わりにセルフの貴重品ロッカーができて、「古き良き時代の船旅」が
徐々に少なくなり、それに反比例して運賃も右肩上がり。
気が付くと自分も大人の事情で四国というかいろんな場所に
出かけることができなくなった。
今までの自分だったら、なんかいやだな、という感情が
あったけれど、現在は「今までが行き過ぎてこころとからだが
疲れすぎてるからもういいや」という気持ちしかない。
自分を変えることをやって行けば、またいろんなところに行けるかも
しれない、そう考えることにはしているけれど。