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もう一人の粗暴で凶暴なわたし。

 ある会社の採用説明会を聞いていたら、自分の持つ障害の重さと
受け入れられなさ、というものをまた感じ取ってしまい、
そして、「自信を持て」とか「他人や環境のせいにするな」と言いながら
自分を重たくて太い鉄の棒でバシバシ打ち据える
嫌な人たちがまた出てきた。
「俺たちに従え」とか「恭順の念を示せ」という本音に隠れたいやな感覚を持ち出されると、自分は抵抗できずに心や魂が死んでしまう。

 そうならないように難をよけるためには質の良くない人たちから、
もっと言えば、いろんな試練と呼ばれる糞から逃げなきゃいけなかったのに、逃げると卑怯だとか、なにくそという根性を持て、と
さらに責められる。
 自分の心は抵抗したいけれど、心や魂が死んでしまっているから無感情で受け止めているけれど、より深いところでどんどん人間がゆがんでくる。

 そんな自分を受け入れてくれる場所がある可能性はゼロじゃないのは良くわかるが、受け入れられなかったら、別の会社を応募した時に感じた「私はどこにも居場所がない、だから別の道を選んで、誰にも迷惑をかけずひっそりとものもらいをして生きていきたい、こんな苦しい思いはしたくない」を実際に実行したい、そのためには余計なことを言う親も邪魔だ。

 こう書いて、なんか悲しくなったけれど、その悲しみを少し掘ってみると
もう一人の粗暴で凶暴なわたしが存在していることに気が付いた、というか気が付いていても何をどうすれば粗暴で乱暴な自分と折り合いをつけたらいいのかわからなかった。

 失敗ばかりで、立ち上がりたくないのが自分の人生だ。
ということがわかったから、もういいや、生きたくない、
生きることをあきらめたい。
ということをじぶんのなかにいるいじわるで自分や、
自分以外の人間を殺さないと気が済まない、凶暴で粗暴な
もう一人の自分がどんどんいい方向に進みたい自分の足を引っ張って邪魔をし続けていることに気が付く。

 さらに、粗暴で凶暴な自分はずるがしこいからみんな他人のせいにしているけれど、本当は自分対自分の戦いだった、それを自分対他人の戦いに見せかけている、という狡さに自分は違和感と嫌悪感を感じていた。

 けれども、どうしたらいいのか、どう折り合いをつけたら
いいのか、正直わからない。
 わかっていることは脳が過活動すれば、粗暴で凶暴な自分が表れて、過去の失敗などのマイナスの感情を引っ張り出して悪さをするから、そうならないために薬を飲む、誰かに話をする、Twitterやnoteなどのウェブを使った
表現手段を利用する。
これらのやり方を続けてみよう。


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