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わたしが見た世界5/2

一杯のそばから今の社会が見える。


  ずっと考えているのだが、この世界情勢下で何もかもが満ち足りた、
情勢と無関係でいられる場所はどこなんだろう、ずっと有利な立場で
いられる場所はどこなんだろう?
  けれども、人間は別の人間と関係を持たなければ、生きていけない、
その関係が良い関係を築いているうちはいい、けれどもよくない関係に
なってしまうと、こういう風に日々の生活すらまともに運営できなくなる。
 そういうことがわかっているのか、わかっていないのか、あえて関係を
悪くさせて、生活を悪くさせるという愚かを起こすような人は
少し頭がおかしいと思う。
 そういう頭がおかしい人が集団の上に立って、頭のおかしい人と
考えが違う人を別の意味で頭がおかしいと決めつけて虐めている。
 その虐めたい人を虐める手段として食糧のコントロールをしたことが
このニュースなのかもしれない、もしそうだとしたら、因業因果はいつか
めぐってきて、食糧が何もなくなる時が来る。

番組はいつか終わる、とは言うけれど。

 なんか、ここのラジオ局、おかしくなっている。
段階的に、時間をかけて番組の入れ替えをしなければ聞いている人の耳を
驚かせて、この驚き具合によってはラジオ自体を聞くことが
なくなるかもしれないのに。
 それはさておき、このラジオ局、今年4月始まりでこれと21時からの
月曜日から木曜日の時間帯が変わったようだ。
 21時からの番組をやっている小林さんというこれもまたよく訓練された
話し手がバスケットボールを軸にしたスポーツや、自らのベースである
アメリカオレゴン州のカルチャーや音楽を伝える、という聞き心地と聞き
ごたえのある番組がおんなじ事情でなくなって、幸いにも正午からの番組という形で再開はできたけれど、こういう会社だ、いつ、いかなる状況で
突然打ち切られるかもしれない。
 お金を持っているスポンサーを捕まえ続けることができなかったのがよくなかったのか、よいものはわるい、じゃなかった、よいものはよい、
わるいものはわるいとずばずばものを言ったからスポンサーが愛想を
つかして、それを見たラジオ局がこれ幸いと礼をなくした斬り方で斬って
取ったのか、その両方なのか、正直わからない。
 radikoというインターネットを利用して日本全国のラジオ局・ラジオ番組を聞くことができるシステムが市民権を得つつある現実で、こういう嫌な
状況がラジオの常であると思われたら、より悲しくなるし、なんかやりようがあるのではないだろうか。
 こういう形で言論弾圧や言論統制をおこなわれると愉快じゃない。
 

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