持病というのは、言ってみれば「体に住み着いた居候」みたいなもんだ。こっちが追い出そうとしても、なかなか出て行ってくれないし、時々存在感をアピールしてくる。普通にしてれば大したことはないけど、ふとした瞬間に「ああ、そうだ、僕にはこれがあるんだったな」と嫌でも思い出させてくれる。持病ってのは、そうやって「完璧な健康体」なんて幻想を引き裂いて、僕に現実を突きつけてくるわけだ。
持病を抱えていると、どうしても生活に制限がかかってくる。周りが平気でやっていることでも、自分にはリスクがあったり、少し調子を崩したりする。けれども、まあそれにも慣れてくるもんだ。長く付き合っていれば、自分の「普通」がどこにあるのか見えてくる。体が無理をする前に、「今日はやめておこう」とか「これくらいなら大丈夫かもな」と自分なりのラインが分かってくる。これはもしかしたら持病が教えてくれる一種の「自己管理術」なんだろう。でも、やっぱり他人と同じように楽しんだりする時に、ちょっとした「羨ましさ」を感じることもあるんだけどね。
周りの人たちが時々妙に心配してくれることもある。「大丈夫か?」とか「無理しないでね」とか、ありがたいけど面倒なときも正直ある。もちろん親切心から言ってくれているんだろうけど、案外持病持ちは自分の限界をわかってるんだよね。それで無理をしない範囲でやっているつもりでも、周りから見れば無謀に見えるらしい。そういう「見られ方」も、持病の副産物なのかもしれない。
持病を抱えていると、どこか「僕だけが他の人と違う」ような感覚がある。でも、それは案外悪いことばかりでもない。持病があるおかげで、なんだか人生のペースが他人とは違う。みんながものすごい速さで何かを追いかけている中で、僕は自分なりのペースで歩ける。持病が教えてくれるのは「ほどほどにやる」という感覚で、それはある意味でちょっとした贅沢かもしれない。でもね、やっぱり心の片隅では「健康体で全力を出してみたいな」なんて思いがくすぶってたりもするんだけど。
結局、持病ってのは「欠点」でもあり「個性」でもある。誰もが何かしらの「不完全さ」を抱えている。完璧に健康で、全力で生きる人なんてほんの一握りで、残りの僕たちは、何かしら抱えながら不完全な自分を受け入れている。そして、その不完全さがあるからこそ、人間は皮肉なほど面白い。持病があるからこそ、共存しながらのらりくらりと生きていく。持病はもちろん望んだものじゃないけれど、これも一つの「大人の付き合い方」なんじゃないかと、そんなふうに思うことにしている。