わたしのズボラが露呈して、多様性について考えた
以前、あまりにも腑に落ちないので、いろんな人に質問してまくったことがあります。それがこちら。
結果は、圧倒的に「1.コップを洗う」でした。
「そもそも、コップがひとつもない状態にはならない」という強者まで現れ、みんななんてちゃんとした人間なんだ・・・と感動しまくりました。
ちなみに、わたしの答えは「3.計量カップで代用」です。我が家では、わたしが計量カップで水を飲むたび、「あえりえん」と笑われていました。いやいや、計量カップだって器だし、ありえんはずがない。と信じていたわたしは、自分が多数派だと思っていたのですが。完全なる少数派でした。
そもそも、我が家の計量カップはこんな形をしているんです。
計量カップで代用する人が、ひとりもいないなんてシンジラレナイ。コップとほぼ同じ形状をしているので、わたしは何の違和感もなく飲料用に使っているのに。(ただし、フチが尖っているので口当たりは悪い)
今回、「計量カップで代用派」が一人もいなかったことは、大変ショックだったのですが、うれしいこともありました。なんと「意外と(?)ズボラで安心しました」と言われたのです。
ちゃんとしてる人間だと思われたー!
わたしは当然、自分がズボラであることを十分承知しています。だから、他人から「意外」と言われたことが意外で、とても、とーっても、うれしかったです。
とはいえ、今回の「計量カップで水を飲む」件が、ズボラ事案だったとは、まったく気づいていませんでした。自分で思っているよりも、重度のズボラだったようです。
あちこちで「多様性」という言葉を、耳にする現代。みんな違って、みんないい!と思いながらも、ついつい「自分が正しい!」と考えてしまいがち。今回の「計量カップで水を飲む」件が、いい例でした。
人間は、一度思い込むとやっかいです。「この人、こういう人なんだな」と、思い込んだが最後。相手がどんな態度を取っても、どんな発言をしても、脳内に刷り込まれた「この人はこういう人」という人物像は、めったなことでは覆りません。
ただ、ズボラの化身であるわたしが、「ちゃんとしてそうな人」と思われていたことは非常にありがたい思い込みでした。
他人に誤解されないに越したことはありませんが、多様性あふれる人間同士のお付き合いです。誤解も思い込みも勘違いも、あって当然。自然の摂理。
だからせめて、「この人はこういう人だ!」というレッテルを貼ったとしても、柔軟に貼り替えられる人でいたいなと思います。
計量カップで水を飲むたびに、戒めのように思い出しそうです^^;