ベン・フォールズ・ファイヴをまたやって欲しいと思い続けている
きっかけ
あれは1998年の春ごろ、家人が「フジロックってやつにイギー・ポップが出るって」と教えてくれたことで、豊洲で開催された第2回フジロックフェスティバルに行くことになった。
すでに齢30となっていた俺だが、相変わらず60年代70年代ロックばかりを聴いていて、90年代のものはあまり聴いていなかった。なのでフジロックも初日だけ、そして目当てはソニック・ユースとニック・ケイヴ、そしてイギー・ポップという感じだった。
後日、WOWOWで2日間のダイジェストを放送したので録画して見ていた。2日目に出演したミュージシャンは知らない人ばかりだったので、最初だけ見てあとは飛ばし飛ばしという感じだったが、あるバンドのところでリモコンを操作する手が止まった。叩きつけるようなピアノのイントロで始まった曲、そしてバンドはトリオ。なかなか良い感じだなと思っていたのだが、衝撃が走ったのが2曲目。
曲名が「金返せ」と日本語で表示された。「え?」と思って見ていたらなんと、そのヴォーカリストは日本語で歌いだした。
これには俺も家人も大ウケで、たちまちこのバンドを気に入ってしまった。それがベン・フォールズ・ファイヴ(以下BF5)との出会いだった。
すぐさまCDを買った
俺は翌日、仕事の帰りに早速CDを買ってきた。どうやらBF5はその時点でアルバムが2枚出ていて、「金返せ」は2枚目の『Whatever And Ever Amen』に入っている"Song For The Dumped"という曲の日本語版で、日本盤のボーナストラックに入っていた。
BF5はヴォーカル/ピアノのベン・フォールズ、ベースのロバート・スレッジ、そしてドラムのダレン・ジェシーのトリオで、それなのに「ファイヴ」とはこれいかにということだが、「ベン・フォールズ・スリーよりも響きが良いから」というのが理由だった。
名前の時点で笑わせてくれるが、1stアルバムの帯には「ニルヴァーナ+エルトン・ジョン」、「クイーン・ミーツ・ジョー・ジャクソン」といった形容がされていて、実際そんな感じでとても俺好みであった。
何よりも重要なのが「ギターレス」ということ。90年代になるとロッキング・オン系の雑誌ではイギリスのバンドをやたらとプッシュしている感があって、俺にはそれらがまったく魅力的には感じなかった。ただのギター・ロックという感じで、どれ聴いても同じじゃんと。ついでに言うと、ブリティッシュ・ロックは好きだけど、UKロックはどうも・・・って思っていた(このニュアンスが分かる人とはきっと気が合うと思っている)。
BF5はそんなギター・バンドに対するアンチテーゼのようにも思えて、90年代も終わり近くになって、ようやくリアルタイムのバンドを聴くようになったのだった。
ファンサイトの立ち上げ、グループ解散
俺はもっと彼らのことが知りたい。インターネット黎明期ではあったが、誰かホームページとか作っていないだろうかと検索するも(このころはまだ「ググる」という言葉はない)、コピーバンドのサイトが出てくるだけで、彼らの活動をまとめた日本語のサイトはひとつも見つからなかった。
「なんなら俺が作る」
何でこんな素晴らしいバンドのことを誰も紹介しないんだと、ファン歴1か月とか2か月ぐらいだった俺は、彼らのファンサイトを作った。いま調べてみたら、1998年11月にサイトをオープンしていたようだ。
ディスコグラフィやその時知りえたニュースを載せる程度だったが、徐々にファンの人が見に来るようになり、そこから別の人が新たにファンサイトを立ち上げたり、1999年には覚えている限りで他に3つのファンサイトがあった。それぞれの管理人と交流しながらも、みんなでBF5を盛り上げていったつもりだ。
そして1999年、3rdアルバムとなる『ラインホルト・メスナーの肖像(The Unauthorized Biography of Reinhold Messner)』がリリースされた。
このアルバムはそれまでの彼らとは少し趣が違い、それまでのポップながらもパンキッシュでアッパーな楽曲は影を潜め、室内楽のような雰囲気を持った曲が目立つようになった。俺はこのアルバムこそ最高傑作と思っているのだけど、大方のファンはやっぱり1stアルバムなんだろうなと思う。
その年の9月、フジロック以来の来日公演があり、東京国際フォーラムに見に行った。遠い席だったけど、生で見ることができて「金返せ」も聴けて最高のライヴだったのを覚えている。終演後、家人と近くの居酒屋で飲んだ時に、同じ店で他のファンサイトの管理人さんたちがオフ会めいたことをしていて、挨拶だけだったが顔を合わせた。
2000年になり、BF5解散のニュースが来たときはそれほど驚きはしなかった。『ラインホルト・メスナーの肖像』はやっぱり彼らの中で何か変化が生じたんだろうなと思っていたので。いくつか新曲をライヴで披露していたようだけど、それをリリースすることは無くグループは解散した。
そして俺もファンサイトを閉じた。
ベンのソロ~再結成
ベン・フォールズはソロとなって2001年に『Rockin' the Suburbs』というソロ・アルバムをリリースした。だけど俺がこのアルバムを聴くのは2017年になってからだった。
ソロ・アルバムがリリースされた際には各所で「ベン・フォールズが戻ってきた!」みたいな言われ方がされていて、それは音楽シーンに戻ってきたということではなく、初期のBF5のようなはっちゃけたベンが戻ってきたみたいな雰囲気だったから。ベン・フォールズひとりでもBF5っぽさを出せるのは分かっているが、でもそれはあくまでもベン・フォールズであって、BF5ではない。俺にとっては『ラインホルト・メスナーの肖像』をベストとする後期BF5をないがしろにされているような気がして、ソロを聴く気にはなれなかった。
その当時は知らなかったんだけど、2008年には一時的にBF5として1回限りのライヴで『ラインホルト・メスナーの肖像』全曲を披露したらしい。どこかに音源落ちてないものだろうか。
2011年にはベンのオールタイムのベスト盤のためにBF5が終結して3曲の新曲を録音、そして2012年・・・
この時はこのたった1枚の写真で感極まってしまった。ついに、13年ぶりにBF5としてのアルバムがリリースされる。こんな嬉しいことはなかった。
アルバムがリリースされた翌年2月には来日公演もあり、もちろん観に行った。やはりこの3人が揃ってこそのマジックがある、そんな風に思いながら見ていて、何度も目頭が熱くなった。
5月には早くもライヴ・アルバムがリリースされ、俺が見に行った日の公演からも1曲入っている。そしてBF5はまた活動を終えた。
現在
俺はいまも「またベン・フォールズ・ファイヴやってくねえかなぁ」と思っているし、何なら毎年毎月毎日そう思っている。ベン・フォールズが昨年ソロ・アルバムをリリースしていて、活動しているのは嬉しいが、やはりBF5としてのライヴを見たい。
BF5の歌詞に出てくる人物は嫌な奴だったり、ひねくれ者だったりして決して前向きではないが、そこは俺自身もそういう人間なのでとても共感できるし、逆にそんな部分も含めてBF5の楽曲は俺を常にポジティブな気持ちにさせてくれる。だから3人が元気なうちはまた新しい曲を聴かせて欲しいし、ライヴをやって欲しい。
※今回これを書く際に調べていたら、BF5の最初の3枚のアルバムをプロデュースしたケイレブ・サザンが2023年7月に亡くなり、8月28日はBF5として追悼ライヴを行ったらしい。
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