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負のスパイラル

若い頃は、何か教職にマニュアルがあって、そのマニュアルに沿って動いていればなんとか生徒たちを動かせる、そんな気になるものです。授業でも学級経営でも確かにマニュアルに沿っていれば、大失敗をすることは避けられますし、責任をとらなければならないような大きなクレームに晒されることもないような気もします。若い教師の学年主任や管理職への相談は、そのマニュアル主義がもたらすものです。こんなときどうすればいいのか、その判断を仰いでいるわけですから。

しかし、こうしたマニュアル主義は具体的な教育活動の一つ一つを、とても狭いものにしてしまいます。学年主任や管理職に判断を仰ぐという場合、決して大きなことは訊かないものです。「学級経営とはどうすればいいんですか?」とか「学級組織ってどうつくるんですか?」とか「生徒たちを活躍させられる行事指導はどうあるべきですか?」とか、そんなことを訊いている教師を見たことはありませんし、聞いたこともありません。あくまで、「こういう生徒指導事案の保護者連絡はどうするのか」とか「修学旅行の自主研修のコースはどうやってつくらせるのか」とか「合唱練習で歌わない子がいるのですがどうしたら良いですか」とか、そういうレベルのことばかりが先輩教師に尋ねられるのです。

先輩教師は先輩教師で訊かれたことに誠実に対応しようとしますから、こうしたことには「技術」で語ろうとします。もっといえば、「一般論」で語ろうとします。ですから、一般的に「保護者連絡ならこういう方向性で確認するといいよ」という話になってしまうわけです。それが責任をもつ学年主任や管理職ということになると、クレーム回避の心性も働いて、もっと一般的な内容になります。それが若い教師たちを知らず知らずのうちに、「一般論」「技術論」へと誘ってしまうのです。

私はこの構造を、職員室における「継承の負のスパイラル」と呼んでいます。若手だけが悪いのでもない、先輩教師だけが悪いのでもない、学年主任や管理職だけが悪いのでもない、時代的にそういう構造が出来上がってしまっているのです。

ここで若い読者の皆さんが心しなければならないのは、先輩教師も学年主任も管理職も、決してあなたが尋ねたことへの対応策の全体像を語っているわけではない、ということです。すべての教師は、「自分だからできる」「自分だからできている」「自分の教師としての資質に合った方法がある」という前提で教師として生きています。決して「一般論」や個別の「技術論」だけで実践しているわけではありません。従って、先輩教師が語る内容というものは、あくまでも「失敗しないために最低限これは押さえておいた方が良い」という確実な線だけで語られるのです。先輩教師の助言というものは、これを充分に理解したうえで受け入れなくてはなりません。

もしかしたら、あなたは「それならちゃんと全体像を教えてくれよ」と思うかもしれません。しかし、それはこの世界ではあり得ません。その先輩教師があなたにそれを語ったとしても、あなたには使えないからです。「教育活動」を司る全体像というものは、その人間と切り離して機能させることは難しいからです。あなたはあなた独自の全体像を創り出すしかないのです。数年から十年程度かかるのが常ですが、それを創り出したとき、教師としての安定感が生まれるのです。

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