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縦のコラボ・横のコラボ
物事が同時に起こるときに立ち上がってくる関係性のことを「同期性」と言います。二つ以上のことを組み合わせることを「複合性」ということは既に述べたとおりですが、二つの事象を複合させる意図は、その二つを比較対照することによって立ち上がってくる関係性を捉え、子どもたちに広く深く考えさせようとすることにあります。二つの事象の提示の仕方によって、子どもたちの「思考の質」が変わります。
二つの事象を子どもたちにどのように提示するか。二つの在り方があります。
一つは、第一教材を提示して思考すべき観点を提示し、第二教材をその観点で考えてみる、という提示の仕方です。或いは第一教材で一つの観点にまとめ、第二教材でそれと反対事象を提示して揺さぶるという仕方です。この場合、第一教材から第二教材へという順次性は引っ繰り返すことができません。あくまで第一教材を受けて第二教材がある。その順次性が大切になります。私はこれを「縦のコラボ」と呼んでいます。
もう一つは、第一教材と第二教材を同時に提示し、双方を比較対照することによって、思考すべき共通点や対立点、疑問点や問題点などを整理し、新たな「問題意識」を成立させようとする仕方です。双方の教材に提示する順次性はなく、あくまで双方を比較対照することにこそ重きがあります。こうした提示の在り方を、私は「横のコラボ」と呼んでいます。
話をわかりやすくするために、前節「複合性の原理」で紹介した杉野明子選手とモハメド・アリで考えてみましょう。
「縦のコラボ」ではまず、モハメド・アリの「不可能とは、現状に甘んじる言い訳に過ぎない」を提示します。アリはいったい、どんな思いでこの言葉を遺したのでしょうか。 モハメド・アリは一九四二年、ケンタッキー州ルイビル生まれ。旧名はカシアス・クレイと言います。十二歳のときにボクシングを始め、ジムに所属してから八週間でアマチュアボクサーとしてデビュー。ケンタッキー州の大会で六度優勝した後、一九五九年、一九六○年と二年連続で全米優勝、ローマ五輪のライトヘビー級代表となります。ローマ五輪では金メダルを獲得しました。ここまでは順風満帆と言って良い活躍でした。
しかし、帰郷後は激しい人種差別を受けます。アリにはそれがとても悔しかったようで、ローマ五輪で獲得した金メダルを川に投げ捨てたというエピソードさえ残っています。その後、プロデビュー。リングネームをモハメド・アリとします。一九六四年には世界ヘビー級王座を射止め、本名も「モハメド・アリ」へと改名します。一九六七年にはベトナム戦争への兵役を拒否したことでヘビー級王座を剥奪され、それどころかボクサーライセンスさえ剥奪されます。しかし、その後、裁判で闘い続け、無罪を勝ち取り、プロボクサーに復帰、一九七四年にヘビー級王座に返り咲きます。八一年に引退した後はさまざまな差別と闘う文化人として活躍、二○○五年には大統領自由勲章を授与されました。二○一六年、七四歳で亡くなるまで、世界的な人気を誇りました。
不可能とは、現状に甘んじる言い訳に過ぎない。こんな壮絶な人生を送ったモハメド・アリがこの言葉を遺したわけです。自らの境遇に言い訳することなく、不可能を可能とするべく壮絶な闘いに挑み続けてきたことは想像に難くありません。その意味で、アリのこの言葉はファンのみならず、多くの方々に感銘を与えました。
これを紹介した後、杉野明子選手の「障がいは言い訳に過ぎない。負けたら、自分が弱いだけ。」というポスターを紹介します。掲示された途端に批判を受け、わずか三日で撤去されることになったことも紹介します。モハメド・アリは人種差別と闘い、杉野明子選手は自らの障がいを克服しようと努力してきました。ところが、一方は世界的な賞賛を受け、一方はネットの炎上を招いたわけです。こう考えてきますと、このポスターの炎上が杉野選手自身には罪がないことが見えてきます。「TEAM BEYOND」が安易に障がい者の言葉をキャッチコピー化し、杉野選手の努力を知らない一般の方々がその言葉だけを取り上げて拒否反応を示した、そういう構図が見えてきます。もしもアリが「黒人であることは言い訳に過ぎない」と言っていたとしたら、やはりそれを問題視する人も現れたかもしれません。
「縦のコラボ」はこのように、アリの言葉の検討あってこその杉野選手の言葉の検討という構成を採ります。アリの言葉あってこそ、杉野明子選手の言葉を広く深く検討する素地が生まれる、そういう構成です。
これに対して、「横のコラボ」は、モハメド・アリの「不可能とは、現状に甘んじる言い訳に過ぎない」と杉明子選手の「障がいは言い訳に過ぎない。負けたら、自分が弱いだけ。」を同時に提示します。そしてこの二つの言葉の共通点や相違点、対立点、疑問点、問題点といったものを子どもたちに挙げさせるわけです。おそらく、本人が言えば美しい言葉も、第三者がそれを取り上げて人目に触れさせたとき、それが問題視されることがあるということが論点として浮かび上がってくるはずです。ハンディキャップを努力によって克服する、ハンディキャップは言い訳に過ぎない、そう言って良いのは克服しようと努力した本人、その人だけなのです。
このように二つの事象を意図的に提示することによって、そこ立ち上がってくる問題意識を扱う授業の在り方を、私は「同期性の原理」と呼んでいます。